考えるという営みにも思春期がある
思春期は間違いやすい。
自分も直近の友達がグレたから、その影響を受けてグレて、ワルさをした。でも、すぐに戻った。思春期にはよくあることだと思う。
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自分は、思考にも思春期があると勝手に思ってる
自分は大学に入ってから本というものを読み始めた。それまでは野球しかしていない猿だった。受験で読解することの楽しさを知り、大学に入ったら本をいっぱい読もうと思った。そして、本を読み始めた。
そして、それと同時に考えるという営みをようやく始めた。
何もわからないから、色んなことに影響を受けるし、考えるという作業も慣れていないし、思考という営みを入れて自分の人生を運転していくのも慣れなかった。
だから、広大な知の迷路に迷いこんだし、色んなところをさまよった。過度に変に影響を受けていたし、バランスがとれていなかった。拗らせていた。
趣味で小説を書いたりする最近出会った友達は、高校のときは「頭おかしかった、よくワケわからん文章を書いていた」と言っていた。
若い頃から思考をしっかり自分でしようとしてきた人にとっては、高校生とかがちょうど思春期なのかもしれない。
だけど、自分はとりわけそれが遅かった。考えるという作業を取り入れるのが遅かったから。その分、思考の思春期は遅れてきてやってきた。
それはどんなことでも起こりうる。新しいことをやったり、違うものを自分のなかに取り入れたりする中で、変なことになったり、うまくいかないことになること。
でも、それは思春期のようなもの。
人間が人間として成熟していく過程で、思春期があるように、思考をする者にも成熟していく過程で思春期は訪れる。
成長の証でしょ。
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