「評価されるため」の恥ずかしさ #200529
今でも忘れられない。
小学生の頃から読書感想文を書くのが好きで
夏やすみには、それはもう
たくさん時間をかけて書いた。
4年生の時だったとおもう。
「おかあさんの木」という本の感想文の最後に、
世界が平和になってほしいということを書いた。
「なんかこう、子どもらしくないねんなあ。」
ふと、先生が漏らした一言。
その場から消えたくなるような恥ずかしさを感じた。
上手く言いすぎているという感覚が
子どもながらにしてあったから、
余計に傷ついたのだとおもう。
子どもらしい感想ってなんだろう。
嘘を書いたわけじゃないのに、
この居心地の悪さの正体はなんだろう。
今ならわかる。
評価されたいと思って書いた言葉だったのだ。
嘘ではなかったけれど、格好をつけた言葉。
それを見透かされた。
それから、ずっと
これは評価されるための言葉じゃないか
、
その先生に見せられるかを
確かめている気がする。
まっすぐな表現をしたい。
あの日の苦しみは今も心の中に残っている。
サポートいただき、ありがとうございます! 有料noteを読んで、学びにして、また書きたいと思っています。