『デート・ア・ライブ』論⑩
1.はじめに
本稿は『デート・ア・ライブ』概論の第十回目になる。
今回は第9巻の『七罪チェンジ』について見ていく。
今回もネタバレを含む内容となるため、未読者は十分に注意されたい。
2.『七罪チェンジ』あらすじ
七罪とのゲームに勝った主人公 五河士道だったが、逆上した七罪によって精霊たちが子どもの姿に変えられてしまった。
子供化してしまった精霊たちに手をやかされる士道と令音だったが、DEM社による策略も裏で進行していた。
ウェストコットを暗殺しようと画策するDEM社の陰謀によって天宮市に廃棄予定の衛星が落とされることとなった。
一方、七罪の嫌がらせはエスカレートしていき辟易とする士道だったが、そこにエレンが現れ七罪を霊装ごと切り裂いた。
瀕死の七罪だったが、そこへ子供化した十香たちが助けに入る。
助けてもらった恩を感じつつも周りの人を信じられない七罪に、さまざまな方法で自信をつけてもらおうと精霊たちの特別レッスンが始まる。
七罪は極度の人間不信であり、なんでもネガティブに変換してしまう性格であった。
そこで七罪は琴里の姿に変身してみんなの本心を探ろうとするが、そこでも全員本気で七罪を助けようとしていると知り、七罪の心は揺れる。
そんなとき、士道やウェストコットらは天宮市に人工衛星が落ちてくると知る。
姿を隠した七罪に対して士道は退避するように必死に呼びかけるが、七罪はチュッパチャプスに変身して士道のそんな懸命な様子を見守っていた。
七罪は【千変万化鏡<カリドスクーペ>】で【鏖殺公<サンダルフォン>】を贋造し、人工衛星を打ち返す手伝いをする。
ようやく心を許した七罪は士道の封印を受け入れたが、そこにDEM社のCRーユニットを纏った折紙が現れた。
3.「罪」の意識
七「罪」の表す罪については具体的に何を指すのかは不明であるが、二通りの解釈ができる。
一つは「七」という数字と対応させて七つの大罪と関連づける考え方である。
七つの大罪とは、カトリック教会において人を堕落させ死に至らしめる可能性のある七つの欲望や感情のことを指し、具体的には「傲慢・強欲・嫉妬・憤怒・色欲・暴食・怠惰」の7つのことである。
このうち、「暴食」以外の6つについては七罪の性格と当てはまる。
<ハニエル>使用時のお姉さんモード:傲慢・強欲・色欲
本来の子どもの姿:嫉妬・憤怒・怠惰
七罪の性格が双方で両極端なものとなっているのは、七つの大罪を反映しているのかもしれないが、「暴食」にあたる描写がないことなどから単なる偶然の可能性もある。
もう一方の考え方は、セフィロトの樹との関連において「罪」を「原罪(original sin)」と捉える解釈ができそうである。
「原罪」とは、創世記3章において、アダムとイブが善悪を知る知識の樹に実った禁断の木の実を食べてしまうという失楽園の記述に由来する考え方である。
ユダヤ教においては、ヤハウェ(ユダヤ教の唯一神)がアダムとイブをエデンの園から追放した理由は、知恵の樹の実を食べた人間が、生命の樹(=セフィロトの樹)の実までも食べて永遠の生命を得、唯一絶対の神である自身の地位が脅かされることを恐れたためとされている。
「原罪」の明確な定義は宗派ごとにも異なり、曖昧ではあるものの、セフィロトの樹の概念はキリスト教というよりもむしろユダヤ教の教理と親和性が高く、ユダヤ教では「原罪」は「アダムの犯した罪が全人類にまで及ぶ」と考える説もある。
七罪というキャラクターとの直接の関わりはないものの『デート・ア・ライブ』の今後の展開を見ていくとわざわざ七罪に「罪」という漢字をあてたのが「原罪」思想と関わっている可能性は十分に考えられる。
特に「original sin」は「オリジナル(本来の)sin(シン)」とのタブルミーニングになっており、第19巻や20巻あたりのストーリー展開とも関わってくる。
4.霊装・天使/識別名
今回は新たな精霊は登場しないため、前回の記事を参照のこと。
5.まとめ
本稿では第9巻『七罪チェンジ』について見た。
罪の意識の概念はユダヤ教やキリスト教と深い結びつきがあり、セフィロトの樹がモチーフに据えられていることからも関係づけることはできそうである。
次巻は物語の転換点とも言えるようなひとつのクライマックスを迎えるものとなる。
→第10巻へ続く
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