「過去未来報知社」第1話・第87回
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緑の洞穴。
目の前の渓谷を見て、笑美は思わず呟いた。
いくつかの尾根を越えた先には、びっしりと緑に覆われた渓谷がある。
あまりの深さ、あまりの深い緑に、
地球の裏側まで続く穴が空いている様に見える。
六合の裏山はそんなに標高はないはずなのに、
なんでこんな深い谷があるんだろう……。
ふ、と肩をつかまれ、
笑美は自分が危険なほどに崖に近づいていることに気がついた。
「大丈夫か」
少し焦ったような色を瞳に浮かべ、アカシが肩を掴んでいる。
「は、はい。ありがとうございます」
慌てて後方へ下がり、笑美はほうっと息をついた。
息をすることすら忘れて、谷を見つめていた。
「この谷は、人の心を吸い込むんですよ」
いつの間にきたのか、飯島が笑美の隣に立っている。
その目は、懐かしさと同時に何か別の色をたたえて谷底を見つめている。
「心を?」
「あなたも、十分注意してくださいね」
それだけ言うと、飯島はその場を離れた。
「なんだ、あの爺さん?」
怪訝な顔をするアカシをよそに、笑美は胃のあたりをグッ、と抑えた。
それは、谷に引き込まれたときから感づいていたことかもしれない。
アレの気配がする。
夢の中で迫ってきた黒い月。
忘れていた悪夢の顔が、今ははっきり見える。
忘れないでよ。ちゃんとここにいたじゃない。
その囁きが、耳に聞こえてくる気がする。
背中を走る悪寒に、笑美は自分を自分で抱きしめた。
「……おかしいな」
辺りを見渡し、アカシが不思議そうに声を上げる。
「撮影隊の連中、どこに行ったんだろう?」
気がつけば、周りに人がいない。
映画のスタッフも、
諸国漫遊の時にいた賑やかなスタッフたちも、
先ほどまで近くにいた、飯島の姿も消えていた。
「ここに入れるのは、ごく限られた人間だけだからな」
ふと聞こえた声に振り返れば、
大家が白い猫を抱いて立っている。
「大家さん……?」
何か違和感があり、笑美は大家を凝視する。
「大家さん、あの、サングラスは……?」
大家は裸眼だった。
その目は、まるで赤酸漿のようだ。
「ここでは、この目があろうがなかろうが、関係ないからな」
大家の腕から白猫が飛び降りる。
くるん、と宙で回転して着地すると、そこにはネコの姿があった。
「わっ! 猫が女になった?!」
「これぐらいで驚いていちゃ、もたないぜ」
ふっと背後から肩に手を置く気配に笑美が仰ぎ見ると、
慶太が緊張した面持ちで立っていた。
「……慶太さん! 今までどこにいたんですか?!」
「慶太?」
アカシが怪訝な目で慶太を見る。
「ずっと側にいたんだがな」
「結界の中にいると、外からは見えないのさ」
「結界?」
大家の言葉に一歩踏み出そうとした笑美は、軽い眩暈を覚えて立ち止まった。
その体を、慶太が支える。
「なんだ?!」
よろめいたアカシが谷底を見て叫ぶ。
「谷が……渦巻いている?!」
はっと笑美が見下ろすと、
緑の穴はゆっくりと、しかし確実に回転を始めていた。
>>第88回
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