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【掌編】終末の闇夜のなかに

ときの果て、とひとは言う。……いや、何十億年だったか、何千億年だったか……一瞬にも満たぬときのなかに生まれて消えた「人類」ならば、今このときをそう呼んだはずだ。

あらゆる星々は姿すがたを消し、ここには絶対零度の闇があるのみ。

光あれと告げた私はいつの昔か、ときの果ての今には……。

ひどく寒い。ここに私はひとりだ。

人類が残した花火のあとのような、星々のない何もない絶対零度の暗闇。

星々の最後のひとつが消えたとき、初めはようやくうるさいものがひとつもなくなったと落ち着きもしたが。

私も勝手なものだ。そのあとの酷く寒く寂しいこのときが、この先永劫に続くのならば、いっそのこと生まれなければ良かったとも思ってしまうようになった。

「誰か、誰かいないか?」

馬鹿馬鹿しい、私のほかに何も存在しない闇夜だけが残る宇宙に向けて尋ねるくらいには気弱になってしまったらしい。

しかし、このことに奇跡が、起きた。

それは気配だった、私以外の。

(あなたは……だあれ?)

気配が問うてくる。

「私はかつて始まりと呼ばれ、そして終わりに在ると言われた者。幾多の名で呼ばれたこともあるが、名を呼んだひとびとはもういない」

(じゃあ、ぼくがいっしょにいてもいい?)

「……構わないが、このときの果てに現れた君は何だ? この宇宙はもう何もないんだ」

(ずいぶんむかしのそのひとびと、にはね……えっと、なんていわれてたかなあ)

気配はすこし考えてから、思い出したようだ。

「ぼくのなまえはヒッグス。そのひとたちには、そう呼ばれていたよ」

ヒッグス。物理的宇宙の果てに、この気配は異次元から来たのだろうか?

……ヒッグス。孤独の闇に飽き果てた私のところへやって来たこの気配を、終わったはずのこの世界の、新たな光と思うことにした。

……ありがとう、ヒッグス。

(了、751字)

※ 作品補足

今回のお話は、世界、宇宙にも終わりがあると予想されていたころのすこし古めな知識をもとにしました。

例えば「ブレードランナー」というハリソン・フォード氏主演の不朽の名作映画は、この終わる宇宙、の世界観がとても色濃く出ています。

現在の最新の知識では、今回のお話のヒッグス君を始め、宇宙が形を失っても存在するであろうもの、という考え方も、それを証明するような発見も出てきていて。

物質が消滅したあとの宇宙がどうなるかを科学的に証明することはおそらくどうしても有限生命体の私達人類には無理なので……。

昔言われていたように宇宙は終わるかどうかも分からない、が今のところのアンサーのようです。終わらない宇宙も、もしかしたらあるのかも??

そんな気持ちを込めた、「ガーディアン・フィーリング」とは別の、終わる世界のぬしと新たな来訪者を扱ったSF風味強めな神話物語をお送り致しました♪

※ 見出しの画像は、みんなのフォトギャラリーよりノラ猫ポチさんの作品をお借りしました。ありがとうございます。



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