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演劇感想「ハンナのかばん」

昨日の夜は、名古屋の天白文化小劇場というところで、19:00から始まるお芝居を観に行ってきました。劇団コーロの「ハンナのかばん」です。

ユダヤ人として、アウシュビッツで毒殺された13才の少女ハンナ。彼女の名前の記されたカバンが世紀を超えて日本に届いたことにより、彼女が自由を奪われ、両親を奪われ、何も悪いことをしていないのに虜囚りょしゅうとして扱われ、死んでいく流れを、カバンに触れたことでタイムスリップしたかのような現代の日本人の兄と妹が追体験する、というストーリー。

最初はドキュメンタリーが作成されていたようなのですが、おそらくこの「ハンナのかばん」は、史実を忠実に再現すると、観る側の悲しみの感情が強すぎる状態となり、今の平和で気楽なご時世に慣れてしまった私たちには、白黒の悲しい映像や写真の集まりとして、悲しすぎるものは意識的に切り離してしまい、他人事で終わってしまうものであったかもしれません。

しかし、それが演劇となったことで、ピアノとバイオリンの生演奏、演技をするひとびとによって、生身の体と衣装と、主体となるカバンなどの現実の道具とをもって表現される。

そのことで、ハンナと言う少女がほんとうにふつうの子どもで、ちょっとした「ユダヤ人は〇〇をしてはならない」という決まり事から始まっていく、彼女と兄が楽しんでいた映画も、公園も、スポーツ施設も、何もかもユダヤ人だからといって禁止されていく異様なそのさまを、現代の自粛・マスク警察や、去年の春に不要不急のこととして、娯楽が何もかも禁止されたあのときとのオーバーラップをより一層感じて帰ってきました。

今、こうして演劇を観られる日常があるのは、本当にありがたいことです。

演技者やスタッフに濃厚接触者が出て、観る予定だったお芝居が潰れてしまったときもあるので、演劇は生ものである以上、怖いなという感情は、やはりさすがにあの夏の感染者激増のときには正直なところ私にもありました。その怖い、という感情に付け込んで、だからひとびとを守るためにと、規制を必要以上に強化したり、娯楽は不要、という意識の押しつけには、これからも気を付けていかなくてはならないし、お芝居やコンサートなどは今でも苦境なので、応援できるものはする、というスタンスを守っていきたいなと思います。

11月に入っての愛知県では、先日の感染者数はひとケタという状態だからこそ、そんなビビりな私も安心してお芝居を観に行くことができるようになった今、このとき。尊みを感じます。

※ 見出しの画像は、みんなのフォトギャラリーより清水将吾@哲学者 Shogo Shimizu, PhDさんの作品をお借りしました。ありがとうございます。

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