自分の軌跡をたどるために書くということ(noteを5日サボってみて)
「うわっ、こんな時間だ!note、書き忘れた…。」
気づいたら12時をはるかにまわった3時前になっていた。
7月3日分のnoteを書き損ね、noteの連続更新記録が63日(たぶん)で途切れてしまった。起きて、すぐに気にしたのがnoteだというのもね…。
その日は、実質3月からずっと続いていたプロジェクトの報告会。
報告会の形式上、自分ができることは限られていて、基本的にはプロジェクトでずっと頑張ってきた若手が中心になって進めることになっていた。
そういうわけで、自分が何か大したなことをやったわけでもないのに、この6月、7月で詰まっていた、この案件も含めた負荷の高さにやられて、完全に参ってしまった。
報告会が終わって、オフィス近くで軽く鮨をつまんで部屋に戻ったら、そのまま気を失うような感じで数時間休んでしまった。そして気づいたらnoteの連続更新が途絶えてしまったというわけ。
翌日もワークショップがあり、週末中は身体の回復と今週の案件の準備でそこそこ作業量があったこともあって、せっかくだから(?)5日間noteをサボってみた。
反省せずに振り返る
サボっていた間、365日毎日更新を目指して更新していたこの60日くらいを振り返っていた。
最初は冷静に振り返ろうとしても「途切れてしまって残念…」という気持ちや、「結局、毎日更新はダメだった…」みたいな自分を責めるような気持ちも浮かんできて、ついつい反省モードになってくる。
一度、そういうモードを振り切って、以前に「急成長する人が実践している「リフレクション」とは?」で自分で書いたとおり、反省ではなく、振り返りをじっくりした。
noteを書き始めた頃はこんなことを書いたりしていたけれど、
振り返ると、やっぱりどうしても力んでしまっていて、毎日書くことが目的になってしまっていた。
上で紹介した記事を読み返すと、ワインバーグの本を参照しながら、
だから、何かを指摘されてしまった時には、ワインバーグの知恵を拝借して、「それ(書いたもの、伝えたこと、成果物)は、わたしではない」と唱え、少しでも早く学びを始めよう。
ということを書いている。
たしかに今でもそう思うし、理屈はそうではあると思うけれど、書くのは他でもない自分であることにも変わりはない。
そうであるならば、やっぱり自分が書きたいことを書こう。
小学生の頃、原稿用紙の残りのマスを埋めていたように書くのはやめて、書きたいことがなければ書かなければ良いし、それでも書きたいのであれば「書きたいことがない」と書いても良いだろう(笑)。
たしかに「書いたものは、わたしではない」けれど、読み返したときに、「この時のわたしは、こういうことを考えていたのか」と、自分の軌跡をたどれるようなものを残していこう。
引き続き、毎日更新するという目標は持つものの、自分のために書きたいことを書くという目的とのバランスを取りながら、目標が目的にすり替わらないように注意しながら、書いていこうと思う。
追伸:
noteの連続更新が途切れて「○日連続の投稿」みたいな応援ポップアップがまた最初からか、と思っていたら、こんなポップアップが出た↓
粋だね!
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