嵐山べにしら
自分の魂が望むままの道を描いて東京から秋田へやって来たリナ(26)。 夢も、恋愛も、全力投球で望む彼女のノンフィクション作品たち。
あなたは、自分の人生を主人公として生きていますか。 もしかしたら、「考えたこともない。」 かもしれない。 そうしたら、一回だけでも、さらっとこの文章を読んでくれたら嬉しいです。 もしかしたら、「昔はね。」 という回答があるかもしれない。 部活、バイト、習い事、勉強、 何かに夢中で打ち込んでいたあの時間は 苦い経験とその時は思っても、今振り返れば自分の成長の為の途中地点だったと思える。 今はどうでしょうか。 主人公として生きるってそもそもどういうことでしょう。 【
結婚する理由が見当たらない。 だからこそ、するんじゃないか? 遠距離恋愛。 一回り年上のフランス人の彼と、半年記念の次の日のこと。 本当は寄らずにそのまま帰る予定だったけど、変な夢のせいだ。 「この石鹸を使うと結婚できます。」 という、どこからどう見ても怪しい石鹸を有名人に勧められる夢から覚めた朝。 ハッとした。 私、ずっと 「この人と結婚したい!」って思っていたって。 なのに、自分の体裁、恐怖心、具体的に考えたときのあれこれ。 それら言うのが億劫になる理由を並
盛大に、やらかしてしまった。 大惨事やっちまって、 あ〜オワタ…。 と真っ青になって思っても でも死ぬことはまぁ滅多にないじゃない。 あ〜オワタと思って、でもその対処の為に さんざん心を使ってなんとか出来もしないけど せめてもの埋め合わせをしたらさ 「あ〜、でも、生きてる。」 って思ったの。 そうしたらさ もう申し訳なさすぎて自分で自分を呪いそうになってても スーーーーーっと少しやわらぐ。 そのことは消えないけど、そのことにずっと縛られてなくてもいいの。 た
どうやってもどうやっても この世界は孤独らしい。 同じ道を一緒に歩いてくれる人はいない。 一時、一緒に歩いているように見えても その道はそれぞれにとって 違うものである、と思う。 ところで 無償の愛とは、あるものなのだろうか? 私には、分からない。 ただ、もしも子供が生まれたら きっと注げられる気がする。 昔から一緒にいるぬいぐるみの、ぶー。 ぶーちゃんには、まっすぐに全幅の愛情を注げた。 人にそそげないのは、なんでかな。 まっすぐにただ人を愛するのって 自
リアルに生きれば生きるほど 目の前のことがゲシュタルト崩壊を起こし 何も確かなものなどないと思えてくる どんな事象も、それが正しいか現実なのかなんて、本当は分からない どこかで線を引いて、 真実だということにしているだけ 今自分が生きていることすら 本当のことなのかなんなのか ぐるぐると、この迷宮に迷い込んでいる でも大丈夫 みんな、孤独な迷路の中で生きている 一緒に進んでいる人なんて 誰もいないけれど 全ての人が、その孤独な迷路の中にいる そう思うか思わない
ぼーっと生きてんじゃねーよ! というのは、NHK番組『チコちゃんに叱られる』の謳い文句だが。 私は、あの番組での使われ方 (素朴な疑問の答えを知っているか否か) 以上に 別のところに思う。 つまり、感度の鈍さ、というところだ。 それを言う私は、昔の自分こそ筆頭でそれに当てはまる人物だった為 これは昔の自分批判でもある。 感度の鈍さとは、具体的には ありとあらゆる局面で、 「それはなぜですか?」 と理由を聞くこと。 この風潮に警鐘を鳴らしたい。 「曖昧性をなくし
私は、今をときめく。 Z世代の生まれである。 我らが世代の代表的SNS、それはTikTok。 ひらけば可愛い女の子やイケメンたちが手を振り腰を振り、、、。 何か、怪しい魔力のように、ボーッと見ていたくなる。 それはまるで、 眠れる森の美女が糸車に吸い寄せられ 手を差してしまうような。 大袈裟なのかなぁ。 あのSNSは学習してくれるので 違うものを見たければどんどん学習してくれて自分ライズされるけれど 見なくなると、やはりあの女の子や男の子がゆるゆる踊る動画が出てくる
その方はいつだって、 私にとっての「心地よい」を教えてくださるのだった。 その名は「腸さま」。 私が知らず知らずのうちに 他者を優先しすぎてしまったり 自分を押し殺しすぎてしまったり 思い込みで一人苦しんでたり。 そんな時に 「君にそっちは違うよ。」 といち早く教えてくださるのだ。 私は長年、自分の胃腸が弱いと勘違いをしていた。 ううん、そうじゃなくって。 むしろとてもありがたい存在だった。 このまま、この仕事をしてたら潰れていたかもしれない私にそれを示すように毎
どんなに掘っても見つからない正しさを定義し、自分をそれに当て込めることを ついついしたくなるのが、現代人であるけれども。 自分の心の奥が知る「美しさ」で生きることが それより増えたなら。 この世の中に とろりと優しい温度と、 生きることのふつふつする熱い温度が 舞い戻るんじゃないかしら。 「美しい」と思うかどうか。 それは、常識的ではないかもしれない。 一見異常かもしれない。 しかし感じてみれば、 出した答えにふわりと心地よい温度をもたらししていることに気がつける
ガラクタ好きの有名人は 清少納言だと思う。 無駄なこと、全く役にも立たないことにばかり目がいく才女なんて 厄介でイラッとしそうだけど、近所にいてくれたら気が向く日には夜を徹して話したい。 こんな夜とか。 近所に清少納言を見出せずにいる私は 己のガラクタ話でマスターベーションするべくフラフラと鉄の塊に文字を打ち込む。 それには、それにしかない良さもあるからね。 さてと。 書きかけの日記。 途中で辞めて再開して、その間こそ書きたくないくらいドラマチックだったりする。
私たちには、色を識別する能力が付与されている。 なんでだろう。 なんで、色の識別ができるんだろう。 もっともっと、この世界を創造するときに、ごちゃごちゃさせずにシンプルに作れたはずだ。 色という概念を、 生まずに成り立つ世界はあったはず。 でも、 空は青いし、海はもっと青いし、 水は色がないから、つまり全色だ。 この文章を文字で読む私たちには、 毎瞬反射で変わる水の色の微細な変化までも見分けることができてしまう。 この世界は、 合理的に創造することが最も求められて
その子は、一見したら普通の女の子。 細い肩はなだらかに落ち、太くも大きくもないその線にこんなエネルギーが詰まっているなんて。 のちに、世界中で、事業を通してを"凡人たち"を"天才"に開眼させていく人物。彼女の名前はリナ。これは、人生ひとときも無駄なことなんてない、そう感じさせてくれる彼女の物語。 神奈川県中探したって2.3人しかいないような、そんなあまりにもぼーっとした子だった。 幼稚園に行くよ、と言われるまでずっとカーテンの揺らぎを見ているだけ。 それが彼女の決めてもいな
人生変えたくて、バックパックします。 とか、ヒッチハイクします。とか。 安心領域を越えるのに、自分を慣れさせるために活用するなら最高。 その後の現実の人生にそのマインドが続いて活かせるから、その意味で面白い。 逆にそれをやる事自体では、紡がれる人生は変わらない。 自分の人生どうでも良くなって、成れの果てにやってしまう人もいる。 旅先ノープランよ!どうとでもなれ、まぁ何とか生きれるでしょ、という感じ。結構いる。 安心領域を超える旅をすれば それ自体が自分を 自分の現実を
give=take. その逆も然り。 ギバーとテイカーという話。 テイカーをマイナス的に捉えて、自分は与えているのに、と以前の私は思っていたけれど 既にもうもらっているよ、と伝えたい。 反応なし、という反応をね。 そして、人は鏡だからそのテイカーを出現させたのもまた自分。 テイカーがなんだという前に、 自分を見つめてみるの。 実質的なものをもらっていなくても、 十分「学び」という対価を頂いているのだから。 でも、この人は違うなと思ったら 自分らしく生きてみること。
人生最高のバディの存在 私にはもう15、6年来の付き合いをしているかけがえのないバディがいる。 その子はちょうどその頃から脚本家の仕事をしていて。 私よりずっと冷静沈着で、客観的で、物事を広い視野で見ていて、判断力、本質を見極める力は一流経営者かなってくらいで、それでいてめちゃくちゃ夢みがちで可愛い人が好きで、 自分の人生を幸せに生きることに誰よりもストイックだ。 その子が紡ぐ物語が、私はお気に入り。 人間臭くてむせ返って受け入れられないって人も多いと思うけど、 この
こんにちは!トーキョーの片隅で自分の人生にワクワクしながら外見コンサルをしています。 とうとう、私のビジョン、ミッション、バリューについて最終章のバリューについてです。 自分の事業も自分自身のことも好きな私が、楽しく自由にアウトプットさせて頂いているこのnote。 さて、前回までをサラリと振り返ります。 私のビジョンは 自分自身が好きな人ばかりの世界の実現 私のミッションは 自分が素敵だと気がつくためのお節介なサポート です。 ※こちらが前までの記事です。 幸