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自慢って曖昧。

「他人に自慢しちゃいけません!」と、子供の頃から言われてきました、
自慢と自慢じゃない境目ってどこにあるんだろう?

娘から「わたしダンス上手いねん♪」なんて言われても自慢された気にならない。

大好きな仲間が
「こないだ有名なあのホテルに行ったで」
「チャレンジした結果、こんな成功したよ」
「高級なもん買ったで」
「凄い人に会ったで」
なんて教えてくれた時も自慢された気になりません。

だけど、たまに先輩が
「俺の若い頃は、3日間は徹夜してたぞ」
「俺の知り合いに、有名人の◯◯がいるんだぞ」
なんて言われてしまうと自慢されてる気持ちになるのです。
一気に萎えて疲れてしまうのです。

これは、完全に受け取る側の僕の捉え方であることは分かっているのですが。

じゃあ、何が違うのか?
好きか?嫌いか?
それもあるけど、それだけじゃない。

"自分で認められているか? 相手に認めさせようとしているか?"
な気がします。

僕の子ども達も、仲間たちも、自分で自分のことを認めている人達。
自分の好きや得意や素晴らしいところを自分で認めるのが上手な人達。
自分を認めている人ほど、こちらからも認めやすいし、自慢されている気がしないんです。

反対に、自慢されてる気がする時って相手に認めさせようとしてる感じがゴリゴリに感じてしてしまうのです。

「どうだ?すごいだろ?お前はどうだ?」
と、いう声がどこからか聞こえてきそうなのです。

完全に受け取る側の捉え方なのですが、こんな時に自慢されてるなぁ、なんて思ってしまうのです。

これって自分でも無意識にやってる時があると思います。
自分で自分を認められている時と、自分で自分をうまく認められないから誰かに認めて欲しくなっちゃう時が。

「認めてほしいねん!」
と、ストレートに言えたら最高に素敵なんだけど、
恥ずかしい時ほど遠回しになって自慢っぽさが作られるのかもしれない。 

自慢をする人って、実は恥ずかしがり屋さんや照れ屋さんなのかもしれません。

自慢自体が受け取る側の捉え方なんですが、もし「自慢された」と感じたとしても「ふふふ、この人って恥ずかしがり屋さんだな」くらいに思うと、心が楽になって相手を認めやすくなるかもしれません。

自慢してる自分に気づいた時にも
「恥ずかしがり屋さんの一面が出やがったな!」
くらいに考えてみよう。

自慢の境目って、すごく曖昧。

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