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中国に学ぶ、「とりあえず世に出すこと」の大切さ

何か作品を生み出すにしても、仕事をするにしても、多くの人が時間をかけて完璧なものをつくろうとします。それはその人の真面目さがそうさせるのであり、間違ったことではありません。

ただ、成果物にかける時間とクオリティのバランスにおいて、それが必ずしも正解ではない場合があるように思います。

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たとえば今僕はnoteを毎日書いていますが、毎日やっていると嫌でも気づくことがあります。それは、かけた時間に対して反響の大きさや自分が後で読み返したときの面白さが必ずしも比例していないということです。

もちろん力を入れて書いたものが広く読まれることは体感としては多いし、自分なりの愛着も沸きやすいです。しかし、時間をかけても熱がうまく乗せられず、労力に比してなんだかなあという出来になってしまったものもあります。30分で50点のものができたからと言って、1時間かければ100点の出来になるとは限りません。むしろ2時間かけても60点が関の山、ということも珍しくありません。

ここで必要になるのは、50点でもとりあえず成果物として発表してしまう勇気のように思います。100点を目指して時間をかけることはそれでそれで素晴らしいですが、それをやりすぎて成果物を出すサイクルが回らないのであれば本末転倒です。

そして晒したものに対して評価を受け、次からは30分で出せる成果物のクオリティを55点、60点、70点と高めていくほうが、結果として良いものを早く出せるようになる気がしています。

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僕がこのような考え方に至ったのは、noteを継続してきて見えてきた部分ももちろんありますが、それと同じくらいに「中国にいる」ということが大きいような気がしています。

中国の人は失敗や後に起こりうる問題を恐れず、とにかくモノを形にして出してしまおうという気概が強いです。問題は起きてから考えよう、というやつです。街に溢れる製品などを見ていると「お前もうちょっと考えてから作れよ」と言いたくなるようなものも少なくありません。

しかし、それでもなんとなく買う人がいて、経済は回っています。人が多くパイが大きいというのもあるのでしょうが、「人々は、普段手に取る/目にするもののクオリティなどそれほど気にしていない」と気付かされます。

さらに言えば、近年の中国における経済発展を支えるITを中心としたイノベーションは、『プロトタイプシティ』に論じられているような「とにかく手を動かす」「モノ・サービスを実際に運用しながら改善していく」という方法論に支えられています。

とにかくモノを形にして、具体的な問題点を先に見つけ出してそれを潰していくサイクルを猛スピードで進める、という中国人的な気質が時代のトレンドとマッチし、中国の急速な成長を可能にした、とも言えます。

信頼を失うレベルでクオリティの低いモノを出してしまうのは、逆に継続性がなくなってしまいます。しかし、いつまでもまごついて成果物を出さない、または出すサイクルが回らないことも問題です。日本人の場合、後者のパターンに陥って苦しんでいる人が多いのではないでしょうか。

ある程度は自分の出すモノのボトムラインを信じて、時には自分では50点にしか思えないようなモノでも、とりあえず晒してみるように心がけることが大事なのかもしれません。目に見える反応がなくても見てくれる人はいるし、なにより成果物が自分の目の前に現れることで改善点が明らかになり、次に進むことができるようになります。

僕自身を含む臆病者の我々にはちょっと勇気のいることですが、頑張ってやっていきましょう。

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