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苦労のマッチポンプ、してませんか

先日、一時帰国の時の感想の一環として、どうも日本では「人手を減らすためのシステムに人手を割く」みたいな倒錯した場面が多いのではないか、ということを書きました。

どうしてこうなるんだろう? と考えた時、どうも日本人は苦労をすること目的化している人が多いんじゃないかと思うのですね。いわゆる、手段と目的がすり替わるというやつです。

自動券売機の横に立って客の代わりにボタンを押してあげる仕事は、ひいき目に見てもあまり本質的な仕事ではないように思いますが、「親切にしてる感」や「頑張ってる感」はなんとなく出ます。なんか頑張ってるし、チケットを買うお客様に対してむしろプラスの行為ではあるから、肯定されやすい(あるいは、否定されにくい)ところがあるのではないかと思います。

「ここにこれだけの苦労をかけているから、すごいでしょう?/頑張っているでしょう?/だから認めて?」ということを人々が思いがちだから、それが発生するし、なんとなく受け入れられてしまう。そんな苦労のマッチポンプが、本質的ではない仕事が横行する理由のひとつではないか。そんなことを考えました(まあ、日本ではやすやすと人をクビにできないとか、そういう構造的な理由も大きそうですが)。

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ところで、中国の人々も苦労を目的化させている場面があります。

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