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イキりながら海外に生きること、noteを書き続けると言うこと
今朝、僕が一方的に師と仰いでいるライターの山谷剛史さんがこんなことをつぶやいていました。
誰もが外国で暮らし始めるときに通るイキリはある。その外国でのイキリを越した人がこれからイキる人をいまだにそんなことやってるのかというのは老害だと思いますよ。経験させればいいこと
— 山谷剛史 新書「移民時代の異国飯」 (@YamayaT) October 27, 2022
心当たりがありすぎたので、今日はこれだけで一本書いてみたいと思います。
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中国で暮らし始めてから1〜2年目くらいまで、間違いなく僕はめちゃくちゃにイキっていました。
海外で暮らしていることに感じる「俺スゴイ」的な万能感。日本では普及していないモノやサービスを見つけ、利用した時の感動。そして相対的に目につくようになる、日本の遅れた部分や非効率的なシステム、そして「中国のことを何も知らない日本人」の姿、それに感じる優越感のようなもの。
いま思えば、それらが浅すぎる理解と経験に基づいたものであるということはわかります。どんな国やそこにあるシステムにもいいところと悪いところはあるし、是々非々で見なければいけません。でも、海外に暮らし始めたことの高揚感はそのバランス感覚を失わせ、果てないイキリの道へと僕を誘いました。
忘れようとしている記憶なので少し曖昧になっていますが、当時は一時帰国のたびに出会う日本の友人に「日本人は本当の中国を知らない」みたいな論をぶち上げていたような気もします。みんな「へー」と優しく聞いてくれていましたが、いまではどんな気持ちで聞いていたのだろうと想像して、悶絶したりしています。
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あれからそれなりの年月が経ったいま、自分は何か変わったのだろうかと考えてみました。
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