見出し画像

ほんやくコンニャクは人類を幸せにするのか

突然かつ今更ですが、生成AIを含む機械翻訳の進化って目覚ましいですよね。

最近はよくChatGPTを使っていますが、ちょっとした翻訳なら「ビジネスメール風にしてください」とか「ニュース記事に~」とか少しの指定を入れて、あとは原文をそのまま貼り付ければ、ほとんど修正の必要がないほどの訳文が瞬時に出力されてきます。英語だけでなく、中国語でもほぼ同じです。

間違いをしれっと出してくることも少なくないのでチェックは必要ですが、作業量自体は以前と比べ物にならないほど減少しました。商用に耐えるほどの翻訳精度は無理にしても、個人でやり取りをするための翻訳くらいなら、ほとんど機械に任せられるようになっているかもしれません。

あとはこれが音声になれば、夢のリアルタイム自動翻訳機、あるいはドラえもんのほんやくコンニャクの完成です。分野に詳しいわけではないのであまりいい加減なことはいえませんが、一定以上の音声認識(文字起こし)の精度さえあれば、すでにほぼ実現可能なのではないでしょうか。

それがあらゆる言語で可能になれば、もう「言語の壁」というものがほとんど意味をなさなくなるかもしれません。テクノロジーによる言語の壁の克服。それこそ、人類がフィクションで夢見たような世界です。とんでもない時代ですよね。僕らは未来に生きています。

+++++

しかし、です。

そうして言語の壁が取り払われることって、本当にいいことなのかな? と考える自分がどこかにいます。

世界中の人々の交流がボーダーレスになる、とは素敵なことのようにも聞こえますが、ひょっとしたらデメリットのほうが大きいかもしれない、とさえ考えます。

たとえば、仮にほんやくコンニャクのようなものが実現して、違った文化をもつ集団どうし、あるいはそこに属する個人どうしにとっての「言葉の壁」が克服されたとしましょう。そこは文脈も含めて、言葉の意味が一字一句、一切の漏れなく伝わる世界です。

では、そうして言葉の意味がわかるようになったからといって、相手の言っていることを「そうなんだね!」とすんなり受け入れられるでしょうか? たぶん、そんなことばかりではないですよね。

ここから先は

1,268字
この記事のみ ¥ 300
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

いただいたサポートは貴重な日本円収入として、日本経済に還元する所存です。