ホームレスになった話(後編)

前回の続き


ホテルを出てホームレスになった訳だが、先がわからない不安よりも解放感に満ち溢れていた。
一時的とはいえ親に縛られることはない。大学の自由さに影響され羨ましがったのも一理あるのかもしれない。

行く宛はなかったがとりあえずネカフェに泊まった。すると月間パスの存在を知りそのまま長期滞在することになった。ネカフェ難民を大学在学中に経験した。

金銭的な問題は実は余裕があった。小さい頃から親戚から貰ったお年玉やお小遣いを自身の口座に「もしもの時のため」に親に入金され続けており、それまで引き出すことができなかった。
今回1人で生活するということで初めてその講口座のキャッシュカードを作成、額を見て驚いた。

その額およそ入居した時の初期費用に加えて家賃半年は凌げるほど。それまで親に無条件で預けられたお金が自由に使える。その解放感もあった。

だが予想以上に出費が激しかった。家がないのだから食事はほとんど外食かネカフェ飯。
おまけにホームレスの原因になったダニ。家を離れようがまだ痒みはとれなかった。
さすがに荷物を何も持たず家を出たわけではない。最小限の着替えだとか必需品を持っていたがその荷物が既に痒かった。

信じられないかもしれないがその日着ていた服を翌日には捨て、新しい下着や服を毎日購入していた。それでも痒みは収まらなかったしそうでもしなければ気が狂いそうだった。
大学で購入したばかりの教科書などの教材も全て処分し、インターネットでまた一つずつ購入した。こうして最小限に抑えるしか方法がなかった。

勿論大学には通った。講義とサークルを終えたらネカフェへ帰宅する奇妙な生活だった。
当時は艦これが流行っていた時期であり、ネカフェなので暇さえあれば遊んだり、それこそ気になる漫画やアニメを見続けるなどある意味天国のような空間だった。ダニの被害を除けばだが。

ちなみに生活困窮者:ホームレスに対して返済する必要がない給付金や住居提供などの支援を行う制度があるらしいが、それが改訂されたのはちょうど自身がホームレスを脱却した後だった。つくづくタイミングが悪い上に、そもそも「ダニで家庭崩壊してホームレスになった」という理由で支援を受けれたか疑わしい。

ネカフェ難民として滞在し3ヶ月目。
さすがに店員に申し訳なさを感じた為ネカフェを出た。まだ痒みは残っていた。貯金は既に半分を切っていた。

次に滞在したのがビジネスホテル。しかし予約無しで期間を定めず長期滞在するわけにはいかなかったので1週間のみの滞在。
これ以上出費を増やしては将来的にも危ないと思い奔走した結果、大学の先輩の家に泊まることになった。
その先輩の都合が悪い時は別の先輩の、というように約4軒ほど渡り歩いていた覚えがある。


先輩宅に滞在中親から連絡が来た。違う住居に一時入居したそうなので一度顔を出すことにした。

自身が毎日服を変えたように母達も痒さに悩んでいたのだが、その住居は既に3軒目だった。
ネカフェで生活している間に引っ越しを試みるも根本的な解決にはならず痒くなりまた引っ越し、引っ越しの繰り返し。
おまけにその間に元いた実家にバルサンだのダニ駆除業者だの依頼するも目立った効果がなく、それでも懲りずに依頼。駆除だけで十数万の出費。

もう母親は完全に精神が壊れていた。
そんな母親と一緒に生活するしかない弟が不憫にも思えたが他に宛が無かった。
そんな状態の母親とすぐ一緒に生活する気にはなれず先輩宅に戻った。


サークルの先輩宅を渡り歩くようになり数ヶ月。突然状況が変わった。
あれだけ駆除を依頼しても変化が起きなかった実家から突然痒さが解消された。
押し入れだとか奥まった部分に手を突っ込むとまだ痒かったが生活できないほどではなかった。

先が見えなかったホームレス生活が突然終わりを告げた。大学2年の10月。およそ半年のホームレス生活だった。


一番最初の家に戻ったので生活が元に戻った、とは言えなかった。
度重なるバルサンだの駆除業者だので放置したままだった家財だのが全てダメになったそうだ。
自身が幼い頃遊んだおもちゃやゲームに収集していたフィギュアに漫画、更にはアルバムなど。母から何も告げられず戻った時には何もかも処分されていた。
その後もその家で生活していたが、20年近く住んだ実家なのに実家ではない妙な気分だった。

おまけにホームレス中の出費は既に莫大な額になっており、自動車学校や免許は諦めるしかなかった。それらの為に20年近く貯め続けたお金だった。


そしてあまりに損失が大きかったのか、母親はその時期のことを無かったことのようにしていた。本当は私がおかしくてダニなんていなかったのだと。

そんなわけあるか。確かに自分もしんどいぐらい痒かったしそもそも腐っても家族だ。同じ家で生活して体感したのだ。
それにその間の出費や私物の処分まで「無かったこと」にされたのがとても腹立たしかった。

あの頃滞在したネカフェやビジネスホテルは数年後全て潰れて無くなっていた。まるで本当に無かったかのように。
あの時必死で食い繋いでいたのに。私物を処分されたことや出費による微貯金が今でも爪痕を残しているのに。ただ虚しかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?