ガチ恋・リアコについて思うこと

※あくまでも個人の感想です

はじめに

「ガチ恋」「リアコ」。SNSを利用していれば皆さん一度くらいは目にしたことのあるワードではないでしょうか。
アイドル、キャラクターなどに「ガチ」で恋する人に対して名付けられたものです。ちなみにガチ恋とリアコの違いは、前者が男性から女性に向けられるもの、後者が女性から男性に向けられるもの、という対象の違いだと僕は認識しています。界隈が違うので呼び名が違う、というニュアンスでしょうか。

そして「ガチ恋・リアコ」はポジティブな意味のワードではないと個人的に思っています。「よい」ガチ恋って存在するのでしょうか。好きという感情が大きすぎるあまり、暴走しておかしい状態にある人間のことを指すワードだと思っているので…。正常な状態なら「熱烈なファン」ですよね。

前向きになれるならいくらでもガチ恋していいと思います。ネガティブになるなら今すぐやめるべきです。その先に幸せはありません。本人に迷惑をかけるなんてもってのほか。まあ先述の通り「ガチ恋」の時点でポジティブな感情ではないと僕は思いますが。

ちょうど今某芸人さんの熱烈な「ガチ恋」男性の方のnote記事が話題になっていますね。書き溜めていたこの記事を公開するタイミングかな…と思い公開することに決めました。

距離感の問題

例えば普段接触できるわけのない地上アイドルや、あまりにも規模の大きすぎる活動者、空想上の存在などがガチ恋の対象ならば、きっと病むことは少ないでしょう。「会えるわけない」「認知なんて無理」と頭のどこかで冷静に判断できるからです。特に空想上の存在はそうです。
ところが、対象との距離が近い(接触できたり認知をもらったりするのが容易い)と、途端に感情を拗らせてしまいがちです。いわゆる「沼」です。

沼は恐ろしいです。最悪の場合犯罪に発展しかねません。大々的に報じられたものであれば、地下アイドルやホストが刺されたり切り付けられたりといった事件が挙げられますし、そうでなくても地下アイドルの悪質な出待ち、ストーカー被害といったものはしょっちゅうSNSで運営から注意喚起されています。

なぜ沼るのか

僕は気づきました。ガチ恋・リアコを拗らせる、いわゆる沼る人は自分に軸がないのでは?と。ないからこそ、他者を必死に応援して支えている(と思い込んでいる)自分に価値を見出す。それに応えてもらえないからどんどんエスカレートしていき、しまいには感情が大爆発して取り返しのつかない事態に発展してしまう。

自分を軸にできている人、自分を大切にして自分中心に物事を考えられる人であれば、「応えてほしい」という感情が生まれないと思います。何故ならば行きすぎた奉仕をすることがないから。まず自分というものがあって、その余力で他人のために動く。余力なので特に見返りを求めることはない。

反対にそうでない人の場合は、自分を犠牲にしてでも他人に奉仕しようとする。最初はそれを是として価値を見出していたとしても、人間ですから見返りがなければ次第にモヤモヤとした黒い感情が渦巻いてくるものです。めちゃくちゃですよね。エゴを押し付けておいて勝手に負の感情を抱えるなんて。

いくら自己犠牲をしてでも見返りを一切求めず奉仕し続けられる人は…聖人君子か相当のバカ(褒め言葉)です(笑)

ガチ恋だから病む?

ガチ恋だから精神を病むのか、精神を病んでいるからガチ恋になるのか。ニワトリが先かタマゴが先か、みたいな話になってしまいますが、難しい問題です。恋はあらゆることへの原動力になり得ますが、反対に全てを蝕む邪悪な感情にもなり得ます。

先述の通り、自分を軸にできていない人は精神を病みがちです。僕もそうだったので。でもこの1ヶ月でだんだんと変わってきました。何事も自分優先でいいのです。他人のことは余裕ができたら考えればいいのです。推しのために○○しなきゃ、推しのために××したから絶対嬉しいはず…。

それって本当に推しのためになっているのでしょうか。あなたの自己満足ではないでしょうか。

ガチ恋と反転アンチ

ガチ恋と反転アンチは紙一重だと思っています。何故なら「推しのために物申せる自分はここまで相手のことを想っている」と勘違いしてしまうパターンも少なくないからです。こういったパターンの人間は自分の理想像を他人に押し付けがちで、推しがそこから少しでも外れてしまうと途端に激昂し、罵詈雑言の嵐となってしまいます。またこのパターンの人間は、アンチレベルで物申す自分のことは許してほしいと思っているのにも関わらず、なんでもいいよいいよと言ってしまういわゆる「全肯定」タイプのオタクを非常に毛嫌いすることがあります。いろいろなオタクとしてのあり方を肯定してほしいと思っているくせに、自分と真逆のタイプのオタクのことは毛嫌いする。うーん。非常に厄介です。

もちろん、熱量高く応援していれば、厳しい意見をぶつけたくなることもあると思います。そんなときには必ず「そう思っているのは自分だけではないか?自分のエゴではないか?」「「ここがダメ!こうしろ!」ではなく「こういう風に感じたけどこうしてみるのはどう?」という風に、言い方を考えるべきではないか?」など、一度立ち止まって考えてみることが大事だと思います。推しはあなただけのお人形さんではありません。

何事も自分が優先

あくまでも自分の人生を豊かにするための推し活です。それで精神を病んでいては元も子もありません。何事も「自分が優先」です。他人第一の人生では幸せにはなれません。まずは自分を中心に置いて物事を考えましょう。自分の生活を推しの予定に合わせる、推しの動向を全てチェックする、推しの反応に一喜一憂する…。絶対にやめましょう…とまでは言いませんが、それで少しでもマイナスな感情が生まれているのであればやめましょう。あなたの人生はあなたが主役です。

最後に

「自分を愛さなきゃ他人(ひと)も愛せない」、僕が最近モットーにしている言葉です。某軽音部が歌っていましたね。本当にその通りだと思います。自分自身のことすら大切にできない人間が、他人のことを大切にすることなんてできるわけないでしょう。つまりガチ恋は恋愛対象になり得る人間とは対極にいるようなものです。皮肉なものです。

何故こんな話をしているのかって?僕自身が境界性パーソナリティ障害を拗らせているガチ恋で、当てはまる節がいくつもあったからです…。本当に反省しています。全て自戒を込めた発言です。皆さんも楽しく健全に推し活しましょうね。

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