なぜ同時にいくつもの思考が可能なのか?
思った。
「なぜ仕事をしている時に、恋愛対象について思い煩うことが可能なのか?」と。
思うに、要因は複数あるのではと。
①実際に取り組んでいる作業の重要性が感じられていない
②実際に取り組んでいる作業以上に重要な議題がある
③自分が無事に生存していけるかどうかの要因が、今そこにいる自分とは別の場所に存在している
これらが、いわゆる「気が散る」ということなのではないか?
と、私は思った。
そして、なぜこれらが脳内で展開されていくかを考えてみた。
気が散る理由3つ
①なぜ実際に取り組んでいる作業の重要性が感じられないか?
これは、端的に言ってしまうと、現に取り組んでいる作業が自分にとってどうでもいいことだからだと思う。
これが自分の肉体的生存や、心理的生存に関わっているなら、それ以外のことは考えないはずである。
もし、今日の食料が手に入るかどうかが目の前の仕事を果たせるかどうかに関わっていたら、それに早く取り組み、早く終わらせたくなるものだと思う。
しかし、ある程度の生存の安全や安心が保障された環境で活動していても、その「生きるための活力」は湧いてこない。湧いてくる必要がないからだ。
しかし、これは外的要因と言える。
自分の置かれた「環境」に原因を見出した場合の分析だからである。
これとは反対に、やる気が出ない内的要因を考えるとしたら、
それは「目の前の作業の目的、意味、効果、メリットなどといったことを忘れている」ということが言えると思う。
分業を考えてほしい。
一連の生産ラインを細分化しすぎると、単純作業が複数生まれる。
単純化された作業は、「考える必要がない」。
それだけ、その作業の「考える重要性」はその人の中で低くなる。
考える必要を無くした人間はどうなるか?
考える対象を脳内で探し始めるのである。
そうして、作業中に他に考えられることを考え始めるのだろう。
②なぜ、実際に取り組んでいる作業以上に重要な議題があるのか?
それは、自分の生存、人生に関わる議題、難問が自分のこころの中にあるからだと思う。
人間個人の中に、重要な議題があり、それが重要であればあるほど、居ても立っても居られないだろう。
「こんなことをしている場合じゃない。本当はあれがしたい、これがしたい。」
それが人の気を散らせる時の、「散っていく行先、対象」である。
気が散る対象がなければ気は散らない。
それが重要でなければ気は散らない。
重要なことが今ここでやってることの他にあるから、気が散るのだろう。
そして注目すべきは、「なぜその重要な議題が重要であるか?」だ。
重要な議題の重要性が、いかほど重要なのか?
それは肉体的生存や心理的生存に関わることが多いだろう。
その日の食事の有無に関わるなら、むしろそちらに取り組むべきである。
そして心理的生存、すなわち「自分がこの世に生存してていいか?」「生き甲斐」「生きるための安心の担保」などといった要素も、危機的状況にあると、本来生命に直接関係なくても、心は窒息してしまうだろう。
こういった議題が自分の中にあると、とても苦しい。
だからこそ、解決したくて仕方ない。
自分が本来取り組みたいことは、紛れもなくそれなのだ。
(本人にとっては。)
③自分が無事に生存していけるかどうかの要因が、今そこにいる自分とは別の場所に存在しているのはなぜか?
この背景を端的に言うなら、
「今あなたが置かれている場にいると、あなたが過去に決めたから。」だと言えるかもしれない。
過去に、今それに取り組む約束をしたことは、今したいことと異なることが度々である。
今目の前の取り組みをすると約束したのはまさしく自分自身であるが、
時間の経過と経験する内容によって、新たに取り組みたくなってくることが増えることもある。
そして、その新しい議題が、自分の肉体的、あるいは心理的生存に関わるのなら、よりその取り組みに思考はとらわれるだろう。
先ほど、肉体的生存や心理的生存の危機が自分の中にあると居ても立っても居られないと説明してみた。
自分の中で重要な議題に実際に取り組んでいられるなら、少しは安心できるだろう。
実際にその悩みの解消に取り組めるのだから、自分の手で不安を解消できるよう行動していられるので、安心を一つ一つこしらえていける。
しかし、「今それができない」としたらどうだろう。
そして、「今ここにはその議題の対象がいない」としたらどうだろう。
「はやくそれがしたい」と思ったり、「今にも状況や事態が悪くなったらどうしたらいいんだ」と、「それに取り組めない、行動できない不安」に駆られてもおかしくない。
この「気になってることをすぐさま行動できない」「ここに関心ごとが存在してない」ことの不安。
注目したいものが、今ここにない。
掴もうとしても掴めない。
求めても求めても求まらない。
いつまでも安心を作り出せない。
これは焦りを生む。
「早く問題を解決しなければ、自分はどうなるか分からない。しかし、今はそれに取り組めない。不安だ。」
これも、「気が散る」メカニズムの一つだと言えると思う。
自分の思考を整える道
以上が、人が同時にいくつもの思考をするに至る仕組みだと、私は思う。
では、この思考は果たして望ましい状態だろうか?
もし望ましい思考の状態だと思うなら改善する必要はない。そのまま思考の波に浮かび、その味わいを楽しんでいいと思う。
しかし、その味わいを楽しむ余裕もなく、自分の肉体的、心理的生存にむしろ支障が出ているとしたら、改善の必要はあると思う。
一つ一つの要因について、考えてみる。
①実際に取り組んでいる作業の重要性が感じられていない
この原因を取り除くなら、あなたならどうするだろうか?
思うに、目の前の作業がもつ自分ごと的な意味を見出すことが考えられるが、それすらなく、本来自分とは関係のない作業をさせられている場合、なかなかそんな意味など見出せないと思う。
そこでこう考えてみた。
「自分がこの作業をしなかったとしたら、どうなるか?」
その作業が「させられている」以上、その作業を「してほしい」存在がいるはずである。
その人の立場となるところを想像することもできる。
また、その作業を「経験しなかった」場合の未来の自分について考えることもできる。
もしその作業をしなかったら、近い将来、自分はどうなるか?どんな結果を得ることになるだろうか?
そして、その作業へ意識の大部分を注ぐことで叶えられる自分ごとを探してみることも、自分にまつわる議題の重要性の偏りを分散させるのに有効だと思う。
意識の大部分を注ぐ方法は簡単だ。
ただ、それを「意識する」だけでいい。
それだけであると私は確認した。
②実際に取り組んでいる作業以上に重要な議題がある
この原因をとりのぞくから、あなたならどうするだろうか?
いや、どうしたいだろうか?
目の前の作業以上に重要なその議題に対して、どんな選択をしたいか?
この問いを読んでみて、あなたの中の内なるあなたは、何を言っただろう?
きっと、その重大な議題は答えに飢えている。
答えとは、「正解」ではない。
「あなたによってもたらされた応答」のことである。
その議題にあなた自身を与えてほしい。
それが、「どんなに生存に関わる問題でも、自分は解決してきた」という自信、すなわち安心を形成していくだろう。
あなたが作り出した他人の声ではなく、あなたの中のあなたの声を聞いてほしい。
③自分が無事に生存していけるかどうかの要因が、今そこにいる自分とは別の場所に存在している
もしこのような状況におかれたら、落ち着き払った経験豊富なあなたならどうするだろうか?
たとえ落ち着きがなくて、経験もないあなたであっても構わない。
肝心なのは、もし自分が経験豊富で落ち着き払っているとしたら、どんな選択をするかを想像することである。
正直、思うにこの問題には手の打ちようがない。
今その時できることは、「あとで取り組む」「その時、その場になったら取り組む」と、自分にアポイントメントをとることくらいだろうと思う。
つまり、いい諦めをする選択を自分に許すということだ。
諦めの悪い人は考える。考え続ける。
今できることはないか?
すぐできることはないか、
答えを、正解を、真実を追求する。
その過程は苦しみと不満と渇望の道だ。
答えが出たとしても落ち着きはしない。
また新しいリスクを、不安を探し始めるから。
この記事における思索実験上は、あくまでこの思考の罠から抜け出すことを目指そうと思う。
思考の罠から抜け出す方法。
それはいくつもあるが、
得策で楽しいのは「感じること」であると私は思う。
もっと言うと、感じていることを認知することである。
五感で感じていること、感情で感じていること、考えたこともだ。
それらをただ認知する。
その存在を認め、実際に在るものとして、事実をただ認めることである。
これは「今ここに在る現実を楽しむ」ことの実態だと私は思う。
楽しむとは、ただ、今している経験をリアルタイムで味わうことだ。
しかしそれは、わざわざ認知して意識を向けなければ、無かったことだと脳に判断されるのだ。
そうなると、自分にとっての快(自分にとっての重要なもの)が限定的になる。
それは、自分が無事に生存していけるかどうかの要因を限定的にすることへと繋がっていく。
そうなると、自分の生存に関わる危機感は感じられやすくなるだろう。
自分が生存できる条件、環境、要素をできるだけ増やそう。見つけよう。
あなたが生きていくための手段は、あなた自身の五感で見つけられるし、あなたの思考と手で作り出せるはずだ。
以上の思索実験、いかがだっただろう。
あなたは今何を感じているだろう。
この記事を読む前のあなたが感じていた気分から、どのような変化があるだろう。
それをあなた自身が知ることで、この思考実験は初めて意味を持ってくる。
お付き合いいただきありがとう。
では。
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