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イエスの無宗教主義

「弟子たちは,アンティオケアで初めて,クリスチャンと称するようになった」(使徒行伝11-26)
 


キリスト教の誕生


 クリスチャンの原語は,ギリシャ語であるΧριστος(キリスト)とラテン語であるianus(従う者)の合成語です。重要なのは,この言葉の意味ではありません。「弟子たちが他宗教と自分たちを区別し,独自の宗教としての自覚をもった」という事実です。
イエス・キリストは,他宗教と自分たちを区別しませんでした。つまり,「新しい宗教を創った」という意識がなかったのです。しかしイエスの死後,しばらくして,弟子たちは自分たちを特別視し,クリスチャンと自称するようになりました。まさしく,キリスト教の誕生です。

小キリスト教史


 ここで,福音宣教における時系列を確認しましょう。まず,イエスが福音を宣教し,十字架上の死を遂げました。次に,残された弟子たちは,エルサレムにて原始教会を形成し,十二使徒のペテロやイエスの兄弟ヤコブが実権を握りました。次に,エルサレムの北方アンティオケア教会において,弟子たちはクリスチャンと称するようになり,キリスト教が成立しました。その後,パウロが異邦人伝道を開始し,福音は小アジア・ギリシャ・ローマに広まりました。

パウロの無宗教主義


 パウロがキリスト教を誕生させたのではありません。逆です。キリスト教の成立後,パウロが活動を開始したのです。なぜパウロは,異邦人伝道を開始したのでしょうか?

「ペテロは割礼に至る福音を神から委ねられた」(ガラテヤ書2-7)

 これ,強烈な皮肉です。パウロはこう言いたいのです。原始キリスト教会の筆頭であるペテロは,キリストの弟子に割礼を強制している。イエスの福音は,神に対する自由な信仰であって,宗教的儀式の強要は間違いである!そうパウロは確信し,十二使徒と袂を分かち,異邦人伝道に向かったのです。つまり,福音の宗教化に反対したという意味で,パウロは無宗教主義者でした。

預言者精神の復興


 宗教とは,信仰の形骸化です。つまり,「生ける神への信仰」が「死せる教義への信奉」に堕することです。旧約の預言者は,宗教を最も嫌いました。最終かつ最大の預言者であるイエスもまた,宗教を最も嫌いました。故に,イエスの忠実な弟子は,いつの時代も宗教に反抗しました。パウロは原始キリスト教に反抗し,ルターはカトリック教会に反抗し,内村鑑三はプロテスタント教会に反抗しました。
 生ける神を愛し,宗教的形骸化と戦う態度を「預言者精神」と呼びます。イエスやパウロは,誰から預言者精神を学んだのでしょうか?それは,旧約の預言者たちです。神と共に独り立ち,全国民を敵に回しても,正義のために戦う精神。これが,アモス・イザヤ・エレミヤ・エゼキエルの精神です。
 預言書は,すべての信仰者の聖典です。我々は預言書を読み,彼らの熾烈な信仰心を学んで,宗教化の弊害から己を守るべきです。

「余輩は人に宗教を変えよと言わず,宗教を棄てよと勧む,儀式と規則と信仰箇条とをもって普通道徳に代えんとする,かの憎むべき宗教という制度を棄てよと勧む・・・誠にイエスの貴きは彼が宗教を建てしが故にあらず,宗教を壊ちしが故なり,故によくイエスの心を知る者はよく全ての宗教に反対す,人はまず全ての宗教(キリスト教をも含む)を棄つるにあらざればイエスの善き弟子たる能わざるなり」(1909年11月10日 内村鑑三)
 

参考書籍です。




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