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使徒と哲人は我々に問う!

パウロとソクラテス


 使徒パウロの書簡である「ガラテヤ書」と哲人プラトンの著作である「ソクラテスの弁明」には,その主要メッセージや言葉遣いに共通点があります。多分,当時のギリシャ式教育を徹底して受けたパウロが,ソクラテスの姿を脳裏に描きながら,ガラテヤ書を執筆したのでしょう。では,パウロとソクラテスは,何を訴えたかったのでしょうか?「ガラテヤ書」と「ソクラテスの弁明」を併読しつつ,彼らの真意を解明してみましょう。

弁明


 パウロは,伝道先のアテナイで,ξενων(クセノーン) δαιμονιων(ダイモニオーン),つまり「異国の神」を広めている者として訴えられ,当地の裁判所で弁明をしました(使徒行伝17章)。ソクラテスは,母国アテナイで,ετερα(ヘテラ) δαιμονια(ダイモニア),つまり「別の神」を広めている者として訴えられ,裁判所で弁明を求められました(「ソクラテスの弁明」Ⅺc)。

驚き


 パウロは,今まで福音に忠実だったガラテヤ人の変節に驚きました(ガラテヤ書1-6)。ソクラテスは,アテナイ人告訴者の嘘に驚きました(Ⅰa)。

決意


 パウロは,ガラテヤ人にその使徒性を疑われても,今の自分にとどまることを選びました。なぜなら,πεισω(ペイソー) τον(トン) θεον(テオン),人間よりも神に従うことを選んだからです(1-10)。ソクラテスは,同国人に訴えられても,現にある状態にとどまることを選びました。なぜなら,πεσομαι(ペイソマイ) τω(トー) θεω(テオー),人間よりも神に従うことを選んだからです(ⅩⅤⅡd)。

啓示


 パウロは,人からではなく,神御自身からイエスを啓示されました(1-12)。それは,世界に福音を伝えるためです。ソクラテスは,神御自身から哲学するよう命じられました(ⅩⅤⅡe)。それは,自分の持ち場にあって,生活の哲学化をするためです。

吟味


 パウロは,ペテロを代表とする十二使徒を,自分の福音に従って調査しました(1-18)。彼らの宣べ伝えている福音が,イエスの精神に適っているかどうか吟味したのです。ソクラテスは,知者だと自称する人々を,神に従って調査しました(Ⅹa)。政治家・詩人・学者の知が,真理に照らして正しいかどうか吟味したのです。

評価


 パウロは,十二使徒をこう評価しました。των(トーン) δοκουντων(ドコーントーン) ειναι(エイナイ) τι(ティ),つまり「偉大であるとみなされている人々(2-6)」「偉いと思われている人々(2-2,6,9)」です。パウロは,「お偉い皆様方」という風に,権力主義に陥った十二使徒を揶揄しているのです。
 ソクラテスは,アテナイの学者・政治家・詩人をこう評価しました。δοκουντας(ドコーンタス) μεν(メン) τι(ティ) ειναι(エイナイ),つまり「ひとかどだと思われている人々(ⅩⅩⅢe,ⅩⅩⅢb)」「知者だとみなされている人々(ⅤⅠc)」です。ソクラテスは,「お偉い皆様方」という風に,アテナイの自称・知者どもを揶揄しているのです。

批判


 パウロは,十二使徒の筆頭ペテロを「間違っている」と批判しました(2-11)。ソクラテスは,自分を訴えたアテナイの知者たちこそ「有罪判決を受けねばならない」と批判しました。

真意


 パウロは,「自分は救われたと自称する人々に対し,キリストの故に弱い者を受け入れよ」と主張しました。ソクラテスは,「自分を知者と自負する人々に対し,神の前で己の無知を自覚せよ」と主張しました。

忠告


 最後に,パウロは言います。「キリストの福音に照らして,自分自身を吟味せよ!」と(6-4)。一方で,ソクラテスは言います。「神の真理に照らして,己の生活を吟味せよ!」と。

パウロとソクラテスのメッセージ


 神を知っていると自負するガラテヤ人を責めたパウロ,真理を知っていると自惚れるアテナイ人を責めたソクラテス。彼らのメッセージは,簡潔に書けばこういうことになるでしょう。我々が他人に対して持つことのできるような優れた点は,すべてが疑問である!我々は,まさに無知の中に知を見,まさに弱い者の中にキリストを見る。それを忘れる時,我々は我々自身のために,最も難しい弁明をしなければならない。

「人はだれの審判者にもなりえぬことを,特に心にとめておくがよい。なぜなら,当の審判者自身が,自分も目の前に立っている者と同じく罪人であり,目の前に立っている者の罪に対して誰よりも責任があることを自覚せぬかぎり,この地上には罪人を裁く者はありえないからだ」
(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」/ゾシマ長老の言葉)

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