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人類の悲願~宗教的調和~


文明の限界


 最近,中東において悲惨な事件が起きました。ハマスによるイスラエルへのテロ行為です。そして,テロ行為に怒ったイスラエルは,ガザ地区のパレスチナ人を殲滅しようとしています。なぜ,こんなことが起きてしまったのでしょうか?
 様々な原因があります。直接的な原因は,イスラエルとサウジアラビアの接近でありましょう。また,司法制度改革のデモにより,イスラエル国内が分裂していたこともあるでしょう。政治的な根本原因は,イギリスの二枚舌外交によるイスラエル建国です。さらに,長年の闘争による憎悪の蓄積もあります。しかしながら,根本的原因は,宗教的対立ではないでしょうか?両民族とも,唯一無二の絶対神を崇拝し,互いの神を認めることができないのです(ヤハウェvsアラー)。

人類の課題


 キリスト教やイスラム教や仏教などの伝統的宗教は,長い間,文明を形成する原動力となりました。昔はそれでもよかった。なぜなら,各文明が地理的に限定され,衝突する可能性がなかったからです。しかし,20世紀以降,交通・通信の発展により,全世界は一つになりました。そして,文明の衝突が起こった。もはや,これまでの伝統的宗教では,文明を維持・発展させることができないのです。
 世界平和のため,世界宗教は統合されねばなりません。それぞれの宗教は,同じ絶対者から出た異なる教えとして理解されねばなりません。宗教的統合を成就しようと,様々な人々が登場しました。代表的人物は,実存主義の哲学者ヤスパースでしょう。また,様々な新興宗教が発生しました。日本に限って言えば,GLAや生長の家・幸福の科学などです。しかし,彼らはみな失敗しました。なぜでしょうか?
 それは,「神の観念」を統合しようとしたからです。すなわち,思想や教義を切り貼りし,新しい神を作り出そうとしたからです。しかし,私たちが神を作るのではなく,神が私たちを創りました。真の神の啓示なくして,諸宗教を統合することはできません。思想を切り貼りして出来上がるのは,宗教的な怪物(フランケンシュタイン)です。

元型論


心のM領域


 宗教的統合のキーポイントは,「神」ではありません。「人間」です。なぜなら,すべての宗教は,人間によって生み出されたからです。人間をとことん究める時,諸々の神が解き明かされます。
 人間の心には,二つの階層があります。意識と無意識です。しかし,もう一つの領域があります。意識と無意識の中間にある「M領域」です。無意識(最内奥の集合的無意識)は,意識できません。つまり,理知的に認識することができない。しかし,無意識から発せられるメッセージがM領域を通ることにより,様々なイメージとして意識(直観)に届けられます。すなわち,M領域内で蠢くイメージこそ,我々人間の思想の源泉なのです。このイメージのことを,深層心理学の祖ユングは「元型(アーキタイプ)」と呼びました。

元型と世界宗教


 元型は,人間に働きかけて,様々な宗教や神話を創造しました。その証左に,各民族の神話には,多くの共通点があります。また,精神病患者が同じような夢を見るのも,元型の働きといえるでしょう。
 代表的な元型が4つあります(ユング「元型論」)。理性の象徴である「老賢人(オールドワイズマン)」,すべての存在をやさしく包み込む「太母(グレートマザー)」,勇敢に戦って勝利する「英雄」,未知の可能性を秘めた「永遠の少年」です。これら4つの元型が,世界宗教の形成に寄与しました。
 すべてを包み込む太母元型は,仏教の成立に貢献しました。仏教がきわめて寛容であるのも,太母元型の影響といえるでしょう。すべての敵を打ち砕く英雄元型は,イスラム教の成立に貢献しました。一なる神を求める熱心さとイスラム教徒の勇敢さは,英雄元型に起因するものと思われます。一元論に傾き易い英雄元型に対し,少年元型は多元論の源泉です。矛盾を矛盾のまま受け入れるヒンドゥー教は,少年元型の影響かもしれません。最後に,理性的な老賢人元型は,ギリシャ哲学に影響を与えました。そして,キリスト教はギリシャ哲学の影響を受けたことに鑑みれば,キリスト教は老賢人元型によって形成されたといえるでしょう。なぜなら,キリストの福音がギリシャ化され神学として形成されたことにより,キリスト教的宗教が誕生したからです。

人間(キリスト)元型


 心のM領域にある元型が,諸宗教誕生の秘密です。そうであるならば,宗教的統合の鍵は,元型の源である「元型の元型」でなければなりません。それは,集合的無意識に秘せられた自己(セルフ)です。神性や仏性と呼んでも構いません。つまり,私たちが「心の内奥にある自己」に覚醒する時,すべての宗教が一つに統合されるのです。譬えて言えば,自己(セルフ)は山の頂上,宗教は登山道のようなものです。

「峰登る 麓の道は違えども 同じ高嶺の 月を見るかな」

たとえ宗教は異なっても,それを徹底的に究める時,私たちは同じ境地に達します。キリスト教においては,マイスター・エックハルトや十字架のヨハネが,内なる神性に覚醒しました。大乗仏教の祖・龍樹の「空」や禅宗中興の祖・無門慧開の「絶対無」は,自己(セルフ)の仏教的表現です。敬虔なイスラム教徒だったイブン・アラビーやスフラワルディーは,アラーを超えた神である「内なるキリスト」に目覚めました。ヒンドゥー教のナーナクやヴィヴェーカーナンダは,宗教的瞑想の末,神を超えた神に出会い,すべての宗教が一つであることを直感しました。

終わりに


 このままいけば,人類は第三次世界大戦によって滅亡するでしょう。我々は,人類存続のため,諸宗教が調和する道を切り拓かねばなりません。そして,宗教的調和の道は,人間の外(政治・経済・宗教など)にありません。内(深層心理)にあるのです。我々が為すべきことは,内に内に沈潜し,心の神秘を説き明かし,神(宗教)を超えた神に出会うことです。なぜなら,ただ生ける神によってのみ,神から流れ出た全ての宗教は理解できるからです。

「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから,神を礼拝する者は,霊とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハネ伝4-23・24)
 

以下は参考書籍です。ご興味のある方はどうぞ。


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