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自己成長とは習慣の更新である

最近読んだ脳科学や自己啓発の本をきっかけに、ここ2週間ほどで一気に朝の瞑想+運動の習慣が根付きつつある。

起床は5:00、瞑想は20分、運動は天気や元気によってヨガ、縄跳び、ジョギングなど。6:00からは家事の時間。洗濯やらおにぎりをにぎったりやらして、7:00には家族が起きてくる。8:00には幼稚園バスの停留所へ。日中は仕事して、18:00には小人と風呂に入って、夜の予定がない日は21:30前には寝る。睡眠は7時間半(90分×5周)。

実は朝の時間を執筆の時間にあてようと意気込んでいたけれど、案外うまくいかなくて。書けない自分に苛立ちを感じての一日のスタートは不健康なので、いっそ諦めることにした。

「むしろ今の僕にとって、書くことはいちばんの仕事なのだ」そういい聞かせ、堂々と午前中に時間をとってみる。バッティングするのはミーティングとか会議とか。それでも今年はプロジェクトの数よりも書いた文量こそ「仕事が進んでいる感」の指標と決めたのだから、アウトプットの優先順位を一気に上げる。

とはいえ書く時間を手放したからと行って、朝に勉強をしていないわけではない。いっそ瞑想も運動も、書かないスタディの時間として捉えるようにした。だから学習管理SNS「スタディプラス」の僕のタイムラインには、瞑想して気付いたことやら、どのコースをジョギングしたかどうかが記録として紛れてくる。きっとこういう想定外の使い方をすることが、勉強家としてのひとつの提案なのだと思い上がっている。

「すべては勉強のために」というマジックワード

ちょっとズルいと思った人もいるかもしれない。それでも、最近手に取った『脳を鍛えるには運動しかない!』や『習慣の力』や『SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術』なんかを読んでいくと、運動は自己効力感やセルフ・コントロールの「キーストーン・ハビット」(要となる習慣)であるだけでなく、脳科学的にも運動を毎日30分するだけで、脳のシナプスが活性化する、つまりは勉強がはかどるのだとすれば、勉強家として見過ごすわけにはいかないという結論に至ったのだった。

いままで何度もジョギングに挫折してきたけれど、「すべては勉強のため」となっただけで、ずいぶん自分ごとになるのだなあと自分でも面白いくらい。

そして運動だけでなく、脳の本質的なトレーニングである瞑想も、「勉強のために」と位置づけられたことで優先順位がぐんと上がった。それなしでは一日が始められなくなった。

とはいえ最初の数分はあまり集中がきかない。そこで敢えて、昨日のことを思い出すようにしている。嬉しかったこと、思うところがあったこと、心が動いたこと。あるいは思いついたアイデアをリプレイする。この時間は、モーニングページの経験に近い。いったん雑念を吐ききって、瞑想は次のステージに進む。

呼吸とともに、わたしのからだは不思議な力で満たされていく。次第に自分がその力そのもののように思えてくる。鳥も、雲も、目の前の畑の茄子さえも、誇らしきわが勉強家仲間に思えてくる。茄子は何かを学んで、紫黒く生きている。茄子から学べることはたくさんある。そんな気分に漂っていると、アラームのチベタンベルが聞こえてくる。

瞑想の仕上げは、「わたしの仕事は兼松佳宏です」ではじまるいつもの秘密のおなじない。自分にゆっくりとダイブし、源(ソース)にタッチして、ゆっくりと上がってくる。あたらしい朝がきた、希望の朝だ。

シャドー、マインド、ボディ、スピリット。4つの統合

運動と瞑想と勉強。この3つはケン・ウィルバーの『実践インテグラルライフ』を読むことで、自ずから統合されていった。

そこで提唱されている4つのモジュールでいうと、運動はボディ・モジュール、勉強がマインド・モジュールで、瞑想はシャドー・モジュールとスピリチュアル・モジュールにあたる感じかな。

(参考)『実践インテグラルライフ』4つのモジュール
シャドー・モジュール:自らの盲点を直視し、抑圧された感情を認識し、隠れた衝動を統合する
マインド・モジュール:世界を明晰に認識して理性的な判断をくだす
ボディ・モジュール:健康と感受性と統合された身体をもって日常を生きていく
スピリット・モジュール:心を開いて、あらゆる瞬間に息づく存在の尊厳を意識して生きていく

朝のうちに3つのモジュールを済ませておくと、残りのマインド・モジュールにより集中できるようになった気がする。あるいは世界を見る目が今までと違うというか。

わかりやすくパフォーマンスが上がったどうかはわからないけれど、もやもやが減ってキレが鋭くなったり、思いつきと思いつきのつながる速度が上がったり。つまりは、瞑想習慣と運動習慣が、勉強習慣に大きな影響を与えているかもしれない、ということ。

もはやいまでは瞑想と運動で迎える朝が楽しみになったし、だからこそ夜眠ることそのものが楽しみになっている。いろんなことがあるけれど、自分でコントロールできる妙な安心感がある。24時間が楽しみ、みたいな。

自己成長のひとつの指標が習慣の更新だとすれば、こうした一連のプロセスを、もう一度じっくり眺めてみたいな。もちろん三日坊主ならぬ、三ヶ月坊主になったとしても。

もしかしたらソーシャルデザインの最初の一歩として、いつか辞めたいと思っている自分の習慣について、試しにプロジェクト化するのもいいかもしれない。実際ソーシャルデザインするべき対象とは、課題を生み出してしまっている社会の習慣だったりするのだから。

※この文章はMediumからの再掲です

はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎