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そもそも煩悩とは何か。 煩悩を転じて 「ほしい未来」を描く「MOYAMOYA研究」のすゝめ③

【19/10/31 追記】最新版「MOYAMOYA研究」の記事を公開しました!

本来の自分 × ほしい未来 × リソース × デザイン = ソーシャルデザイン!」というソーシャルデザインの公式の中から、〈ほしい未来〉にフォーカスするミニ連載。

第一回では〈ほしい未来〉の具体的な例を、第二回では〈ほしい未来〉と出会う2つのパターンをご紹介しました。

今回はそもそも煩悩とは何か、どんな種類があるのかを整理してみたいと思います。


そもそも煩悩って?

みなさんは煩悩というと何を思い浮かべますか? 

"煩悩まみれ"という言葉ありますが、「ついお菓子を買ってしまう(食欲)」とか「ついHなことを考えてしまう(性欲)」とか、何らかの欲望と関連しているというイメージは何となくあるのではないでしょうか。

まずはここで、その定義をみてみましょう。『岩波仏教辞典』にはこうあります。

身心を乱し悩ませ、正しい判断をさまたげる心のはたらき。
『岩波 仏教辞典』p752

うん、シンプルでわかりやすいですね。

何が"正しい"のかは一旦おいておいて、心と体をパニック状態にさせることで、判断力を歪めてしまう心のはたらきこそが煩悩であり、あくまで欲望はそのうちの現象のひとつなのです。

続きを引いてみます。

貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)のいわゆる三毒が煩悩の根源的なものであり、とくにその中の〈癡〉、すなわち物事の正しい道理を知らないこと、〈無明(むみょう)〉に当たる状態がもっとも根本的なものとされる。煩悩は、自己中心の考え、それにもとづく事物への執着から生ずる。
『岩波 仏教辞典』p752

三毒(貪瞋癡)についてはのちほど触れますが、煩悩には大きく分けて3種類あり、自己中心の考えから生じる。そして、それらの煩悩を滅した状態こそが涅槃である。こうした真理を発見したこそ、仏教の偉大なる功績のひとつなのです。


「煩悩→悟り」説!?

しかし理想としての涅槃を頭では理解できても、それを実現することは極めて高いハードルでもありました。そこで初期仏教から大乗仏教へと発展していく過程で育まれてきたのが「煩悩即菩提」という考え方です。

ひきつづき「煩悩」の項目を引いてみます。

人間はしょせん煩悩から逃れられぬというところを観念し、煩悩をあるがままの姿として捉え、そこにさとり(菩提)を見出だそうとする考え〈煩悩即菩提〉が、しだいに大乗仏教の中で大きな思想的位置を占めるようになった。
『岩波 仏教辞典』p753

ここで「即」という言葉がややこしいのですが、僕の解釈では、"煩悩=菩提"ではなく"煩悩→菩提"だと思っています。

煩悩を離れて悟りはないからといって、煩悩そのままに「このままでいいのだ。私は悟っているのだ!」というのは大きな勘違いで、"煩悩→菩提"とは悟りは煩悩が転じたものであり煩悩は悟りの縁(きっかけ)であるということを意味しているのです。

前回の記事で、自分のモヤモヤは世の中を代表しているという話をしましたが、誰にでも訪れるモヤモヤした気分は、実は自分ひとりだけのものではなく世の中で起こっていることの何らかのサインなのかもしれません。ということは自分自身のために一生懸命工夫してみたことは、もしかしたら世の中の人々を救う可能性もあるのです。

その境地こそが煩悩即菩提であり、言ってみればモヤモヤ即ワクワクであり、一周まわって自分の過去を受容し、「そんな経験を持っている私だからこそできること」と出会うことこそ、ソーシャルデザインの何よりの醍醐味なのです。


煩悩は108種類ある?

とはいえ、煩悩やモヤモヤはつかみどころがないものであり、そのままにしておくだけでは私たちをさらに苦しめます。だからこそ肝心なのはその正体を突き止めることであり、まさに仏教の歴史とはその探究の歴史でもあったのでした。

すなわち貪・瞋・癡の三毒、貪・瞋・癡・慢・疑・見の六大煩悩(説一切有部)、忿、恨、覆、悩、嫉、慳、誑、諂、憍、害、無慚、無愧、惛沈、掉挙、不信、懈怠、放逸、失念、散乱、不正知という20の随煩悩(唯識派)、あるいは商人心、農夫心、狸心、鼠心といった六十心(真言密教)などはその吟味の成果であり、やがて除夜の鐘のもととなる百八煩悩として定着してゆきます(といっても、108個のひとつひとつに名前がついているわけではなさそうです)。

これだけたくさんあるとちょっとパニックになってしまうので、ここではもう少しシンプルに話を進めてみたいと思います。


改めて煩悩とは、身心を乱し悩ませ、正しい判断をさまたげる心のはたらきでしたまた、煩悩についてよくまとまっているこちらのサイトでは、感受作用に対しての衝動的な反応と説明されています。

そして煩悩の特徴として、次のようなことが挙げられています。

・衝動的に行動してしまうので、失敗しやすい
・パターン化、習慣化して、止められなくなる
・他の煩悩を引き起こして、抜けられなくなる
・エネルギーが分散されて、集中できない
・どんどんエスカレートし、満足できない

うーん、まさに悪循環ですね...

やっぱり煩悩を煩悩のままにしておくのは悪手であり、循環の向きを変える必要があります。それはつまり、感受作用に対する反応を変えるということです。

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感受作用とは、プラス、マイナス、ゼロの3つです。

プラス(「快い」「楽しい」など)と感じると、もっともっと欲しがってしまいます。それが貪欲(貪)であり、日常語でも定着している貪りです。

一方、マイナス(「不快」「イヤ」など)と感じると、だんだんイライラしてきます。それが瞋恚(瞋)、つまり怒り、憤りです。

ここまでは何となくわかると思いますが、仏教が鋭いのはゼロ(何も感じないこと)も、場合によっては心のパニックである、と指摘していることでしょう。それは愚痴(癡)とも呼ばれますが、迷いの極地としての無関心、逃避かもしれないのです。

大切なのは、反応の前の感受作用そのものには、いいも悪いもないということの自覚です。

ゼロさえも煩悩のきっかけとなるとすれば、心を落ち着かせるとは、+ともーとも感じなくなるという境地を目指すことではなく、「あ、いま+を感じていて、もっと欲しがろうとしているな。今回はちょっと控えめにしておこうかな」というふうに、反応を冷静に見極めてコントロールすることといえるでしょう。


モヤモヤを分類する

煩悩即菩提であり、モヤモヤ即ワクワクである。

そこで僕が考案したワークショップ「MOYAMOYA研究」では、現代を生きる私たちに馴染み深そうな以下の6つのモヤモヤをピックアップして、それを思い出すことから始まります。

それは自分に起こった出来事(内ファースト)でも、誰かから聞いた話(外ファースト)でも構いません。そしてその範囲は、自分 − 家族・友人 − 職場・学校 − 地域 − 日本 − 世界まで含まれます。

環境破壊や外交問題、児童虐待など日々ニュースに触れている(感受している)中で、何故かどうしても反応してしまうニュースと、そうではないニュースに分かれると思います。そんな人それぞれの反応こそ、あなたを〈ほしい未来〉へと導くメッセージとなります。

〈六大モヤモヤ〉
①「もっとほしい!」という〈欲望〉(貪/自分への執着)
②「うらやましい…」という〈羨望〉(瞋/自分の否定)
③「許せない!」という〈怒り〉(瞋/他者の否定)
④「これじゃない…」という〈違和感〉(瞋/他者の否定)
⑤「しておけば/しなければ…」という〈後悔〉(瞋/過去の否定)
⑥「どうしよう…」という〈不安〉(瞋/未来の否定)

これらの六大モヤモヤが、ワークショップを通じて次の六大ワクワクへと転じていくのです。

〈六大ワクワク〉
〈欲望〉→「もっとこんな社会がほしい!」という〈大欲〉
〈羨望〉→「分かち合えるようにしよう」という〈大欲〉
〈怒り〉→「不平等を何とかしたい!」という〈大憤怒〉
〈違和感〉→「これからの◯◯が必要だ!」という〈大憤怒〉
〈後悔〉→「同じことは繰り返させない」という〈大慈悲〉
〈不安〉→「いろんな不安に寄り添おう」という〈大慈悲〉

ここでいう〈大〉とは、大きい/小さいという相対的なものではなく、揺るぎない絶対的な、究極的なものです。そのとき欲望や怒りは、仏教的な救済の心である慈悲の根源的なエネルギーとなります。


ということで次回からいよいよ、煩悩を〈ほしい未来〉に転じるワークショップ「MOYAMOYA研究」のレシピを公開してみたいと思います。

つづく

はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎