マレーシア、ペラ州に日本軍が建てた煙突”Japanese Carbide Chimney”
ペラ州の州都、イポーから南に約40km。
マリムナワール(Marim Nawar)という町に、日本人が建てたとされる煙突が残っていました。
マリムナワールはとても小さな田舎町。町の真ん中に線路が走っているため、徒歩かバイクで陸橋を渡るか、大回りして橋を渡って行き来します。
周辺の町に比べるとマレー系が多く暮らしている印象でした。
この町の集落に煙突がドーンと残っています。
Japanese Carbide Chimney
かなり高い煙突で、草木が生い茂ってます。使われなくなってから月日が経っていることがわかります。
Carbodeとは炭化物を指すそうです。
炭化物煙突、、、なんのこっちゃ?ですが、爆薬を作る工場を建てていたことが分かりました。
所々に看板はあるものの、煙突があるのは鶏が走り回るのとかなカンポン。
細い一本道を看板に沿って走ると、どーんと立派な煉瓦造りの煙突が目に入ります。
両脇には民家があり、個人の敷地なのか否か区別がつかないくらい隣接しているんです。
テラスで子供を遊ばせていた隣人に聞いたところ
「日本人が作った」と言います。
でも、いつ建てられたのか、なんで建てられたのかは分からないのだとか。
反対側の家の庭先におじいさんがいたので、そちらにも聞いてみる事にしました。
72年前に建てられた、と言います。
電卓を貸してくれといい、なにやら計算をすると、ほら72年だ。と。
正確には77年前に作られたものでした。
2020年は終戦75年にあたるのです。
終戦2年前頃に工場が建てられていたのです。
おじいさんも、作られた年と日本人が作った事以外は、やはり何も知らないとのことでした。
町の大通りから5分ほど奥に入った集落はKampong Tanjong Bangkong。
昔ながらの家が目立ちます。
昔からある家は、一階はコンクリート、二階が木造なことが多いのです。
洪水を逃れるために建てられた高床式の家々は、川や道の整備が発展により洪水被害がなくなると、一階部分を増築するのです。
しかし、この煙突の周りの家は、一階建の平家ばかり。
これは、家が新しく建てられたことを意味します。
煙突周辺一帯が工場だったのではないかと推測します。
何のために建てられた?
戦時中なので、戦争に関わることであるのは確か。
工場の謎
写真は煙突の入り口。
誰が何のために建てたのか、なぜ住民が知らないのか、不思議に思い調べてみることに。
イポーの旅行会社のサイトから、こんな説明文を発見しました。
The factory was built by the Nippon Nitrogen Kaisha to supply the Japanese military with explosives. At one time, it used to employ 400 workers, mostly locals from the area. Today the chimney is all that is left of the factory, and they stand incongruously within the Malay kampong
参照
日本窒素会社が、日本軍に爆薬を提供するために建てられたものでした。
現在は煙突のみが残っています。
しかし、この工事、実際には完成せずに終戦を迎えたようです。
なるほど。実際稼働していなかったのであれば、日本人関係者以外は工場で何を作る予定だったのか知る由もありませんね。
納得です。
窒素爆弾
窒素から爆薬が作れるのか?
調べたところによると、現時点では窒素爆弾は架空の爆弾なのだそうです。
米ソ冷戦時代に、ソ連が窒素爆弾を作ったというガセがあったそうですが、仮に窒素爆弾ができたとしたら、原子力爆弾に次ぐ威力があるようですよ。
もし窒素爆弾ができていたら、、、原子爆弾同様、日本は後世まで被害が残るような取り返しのつかない事態を招いてしまったかも知れないですね、、、
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