イエスはキリスト教の創始者ではなく、ユダヤ教の改革者であった

「世界史講義」茂木誠著 から学んだことのメモ。

一神教のはじまりはユダヤ教

ユダヤ教の理解がなければ、キリスト教とイスラム教は理解できない。キリストとアッラーが同じ神であるのもそれで説明ができる。

ユダヤ人はもともと、中東をさまよう少数民族であった。常に周囲から迫害を受けていた。代表的なエピソードは2つある。

1つは、「出エジプト」という話。エジプトに捉えられていたユダヤ人は、モーセという指導者のもとエジプトを抜け出した。しかし、エジプト軍に後から追われ、前には紅海が広がる。そこでモーセが一声あげると、海が割れて道が開き、ユダヤ人は対岸に逃れた一方、海がエジプト軍を飲みこんだ。

もう1つは、「バビロン捕囚」の話。ペルシアが新バビロニアを滅ぼしたために、新バビロニアに捕まっていたユダヤ人は解放された。


このような迫害に対し、ユダヤ人は選民思想を持つようになる。それは、「なぜ我々だけがひどい目に遭わなければならないのか。そうか、神に選ばれた民だからだ。」というもの。

『旧約聖書』には、モーセが唯一の神ヤハウェと契約を交わした話がある。モーセは一人、雷雲に囲まれた山の頂上に登り、そこで契約を交わした後、石版を持って帰ってきた。そこには、「モーセの十戒」があり、神が刻んだとモーセは言う。内容は、簡単に言うと、「ユダヤ人がやってはいけない10のこと」である。神が定めたから守らなければならない、という論理である。

この厳しい律法を守ることで、ユダヤ人には2つの恩恵がある。

1つが、「救世主」。この救世主を「メシア」というが、ユダヤ人が迫害を受けたときにメシアがあらわれ、ユダヤ人を救ってくれるというものである。

もう1つが、「最後の審判」。世界は終わりに近づいており、そのときに「最後の審判」が行われるという。律法を守ったものは天国に、それ以外は地獄行きになるというものである。

「我々は選ばれた民である」というユダヤ人選民思想が、他宗教との融合を嫌い、ユダヤ人が差別される根源になったといえる。


イエスはユダヤ教に生まれた

ユダヤ人はその後、ギリシアのアレクサンドロスに征服される。そして、紀元前1世紀にローマに征服される。ローマの英雄カエサルが活躍した時代である。

紀元後1世紀、事件が起きる。ローマに反逆を企てたとして、イエスが処刑されたのである。


イエスは、ユダヤ人の大工の息子に生まれてきた。ある日、砂漠に行って、戻ってきたら説教を始めた。

「神の国は近づいた。悔い改めよ。」と。

ユダヤ教の人々は、「ついに最後の審判が到来した」と期待して集まってきた。しかしイエスは衝撃的な発言をする。

「律法を守ったことなど関係ない。神を信じた者だけが救われる。」と。

この発言は、貧しいユダヤ人の人気を集めた。実際、ユダヤ人の貧しい人たちは、貧しさから禁止された豚肉など食べていたり、安息日にローマ人に雇われて働いていた。イエスの信仰は人気を得て、瞬く間にユダヤ人の間に広がった。

ところが、当然正統派ユダヤ教の人々は危機感を抱いた。イエスは、それまで閉鎖的であったユダヤ教を、異邦人にまで開放してしまったのだから。

イエスをどうにか抑圧せねばならない。そこで、正統派ユダヤ教の人々は、ローマ総督に

「イエスがローマに反逆を企てている」

と告げ口した。ユダヤ人の争いなどどうでもよいローマ総督に処刑させるには、そのような口実を使うしかなかった。ユダヤ人はローマの属州で過ごしているため、イエスの処刑はローマ総督に頼むしかなかったのだ。

処刑は金曜日だった。本来なら翌日に墓に埋められるはずが、埋められなかった。なぜなら、土曜日は安息日だったからである。不憫に思った金持ちのユダヤ人が墓を貸してくれ、イエスはいったん預けられることになった。


日曜日、墓を見てみるとイエスの姿はなかった。その日、逃げていた弟子がぞくぞくと戻ってきており、口々に「処刑のあとイエスと話をした。」と言った。

「イエスの復活」が噂されるようになった。弟子の間では、「イエスこそがメシアだったのだ」という話になった。

この話が大きくなり、弟子の間で「イエスは神だったのだ」とされた。キリスト教の誕生である。(キリストはギリシア語でメシアの訳)


ちなみに、『旧約聖書』がユダヤ人の神話と歴史をまとめたものである。これに対し、『新約聖書』はイエスの一生を弟子たちがまとめたものである。

その後、ユダヤ教はユダヤ人の間でのみ広まったのに対し、キリスト教はローマ人に広まった。イエスが民族の垣根を取っ払ったからである。


ローマ帝国はもともと多神教であったため、これらを認めないキリスト教は迫害された。しかし、キリスト教の勢力は無視できないほど大きくなった。彼らは、信仰のみを大事にする故、死を恐れないのである。

結局、ローマ帝国はキリスト教徒を皇帝権力の支えにせざるをえないと考えた。313年、コンスタンティヌス1世は「ミラノ勅令」を出して公認し、後に国教になった。

ローマ帝国滅亡後も、キリスト教は受け継がれていく。神から王権を与えられた、という考えを持つようになる。


一方ユダヤ教徒は、イエスの死後2回大反乱を起こす。しかしローマ軍に攻め込まれて、都エルサレムを破壊されてしまう。ハドリアヌス帝は激怒し、ユダヤ教徒を立ち入り禁止にする。ユダヤ教徒は、各地に離散することになる。(ディアスポラ)

しかしユダヤ教徒は、ばらばらになっても、2000年のあいだ信仰を守り続け、イスラエルを建国することになる。

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