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スピリチュアル系あみぐるみ作家になるまでの生い立ち

 私が「スピリチュアル系あみぐるみ作家」になったのには私の生い立ちが必要となってきます。
少し長くなってしまうかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

 そもそもなんでスピリチュアル系だったのか。そこには私の生まれが大きく関係しています。
私は平成初期に占い師とバーテンダーの間に産まれました。占い師だった母は「笑っていいとも!」や雑誌・メディアに出るくらいの当時かなり有名だった人です。
 小さい頃から不思議な本や不思議な像(インド神話のガネーシャ像とか阿修羅の像とか)、大量のタロットカード、天然石に囲まれて育ち、学生時代の自由研究には「錬金術」を選び、国立図書館で専門書を読むような子供でした。
本棚に「黒魔術」「白魔術」「神様」「天然石」ここら辺の本が並んでいる家もそうは多くないでしょう。
 お陰様で立派な変わり者に成長した当然学校でも浮き気味、それでも良い友達に出会い、私なりに一生懸命自分の夢を追いかけることになります。

 当時は不思議な世界は大好きだったものの、自分の親の仕事が照れくさく、恥ずかしかったこともあり、自分は他の世界に行こうとばかり思っていました。
(取材や撮影、出版社に行く時にはついて行く癖が小さい頃からありましたが)中学時代に「Aqua Timez」(最近復活しましたね、本当におめでとうございます)で音楽に興味をもち「ナイトメア」で音楽の道に進むことを決心します。
 高校時代は一瞬軽音学部に所属するものの、空気が合わず、退部し外部でヴィジュアル系バンドを組みライブを夢見てスタジオに入っていました。
(そのバンド達でのライブは叶わず解散に終わってしまうのですが)

 専門学校はもちろん音楽の学校へ。特殊な職業だった両親は特に反対もせず、応援してくれました。最初ギタリストになりたかったのが石が転がって、シンガーソングライターに転身。曲を作り、ギターを弾き、歌い始めます。
 そこでは授業、作曲、バンド、バイト、ライブに明け暮れた毎日を送ることになります。

 アクセサリー作りも並行して小学校の頃から続けていました。
当時は人にプレゼントするのが好きで、出来上がったものを友人に渡しては困らせる厄介者で今考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 編み物も同時期に手を出します。ですがここで編み物には挫折しているんです。

 それは私が左利きだったから。
母は一生懸命教えてくれましたが、それでも右利きの人が左利きの人に教えるのには限界があり、編み物が得意だった祖母も匙を投げてしまいました。
 ここから私の編み物ライフは挫折と挑戦を繰り返す20年となります。

 時は進み、20歳を迎えた私はバンドも解散し、しがないシンガーソングライターとしてバイトをしながら物販スペースで自分が作ったものを売りながら、ライブ活動を数年間続けていました。
いろんな所でライブをさせてもらって、ご縁あって憧れの人が立ったステージや屋外大型フェス、ショッピングモールなどで歌わせてもらっていました。
それでもチケットは売れず、集客もままならない半端者のミュージシャンだったと思います。


 22歳の頃には家を出て、専門学生時代に付き合い始めた恋人(現夫)と同棲生活をスタート。
 そして仕事のストレスから魔の鬱病にかかります。
鬱病になってからは仕事をやめ、徐々にライブ活動は減っていき、家にいる時間が長くなり、アクセサリーをずっと作っていました。
 そこから数年間は売り上げのない、しがないアクセサリー作家、親や恋人に迷惑をかけながら自分なりに自分の気持ちと向き合い、アクセサリーと向き合い、マーケティングやブランディングに勤しみます。

 その頃から「勝ち馬に乗る」精神が再熱したのだと思います。
スピリチュアル系が人気なのは小さい頃から見ていたので知っていました。
アクセサリーに天然石を使い(元々天然石が大好きだったのもありますが)そこに他の人よりも詳しい意味と言う名の付加価値をつけ販売を始めます。
母とのコラボも始めます。
小さな右肩上がりですが、徐々に売り上げが上がっていきました。

 それを数年続け、なんとか軌道に乗り始めたかな?という時に、コロナ禍を迎えました。
家で仕事をしていたので、夫とは違い、90%家で籠る。買い物をするのにも恐怖心と周りの空気で心が痛む……鬱のような症状になった方も多かったのではないでしょうか。
その頃の私はとにかく寂しくて、会いたい人にも会えず、大事な人がコロナになったら、亡くなったらどうしようというマイナスの感情に襲われ心を病んでいました。
アクセサリーも正直二の次三の次になるようなアイテムで、生活に密に接するものじゃなかったことから売り上げも下がり、そういう意味でも落ち込んでいたと思います。

 それを救ってくれたのがソーシャルゲームの存在でした。滅多にそういったゲームに嵌らない私がキャラクターにハマり、ぬいぐるみを買い、「ぬい服」を作り始めそれを頒布していました。
その時何を思ったのか「今ならぬい服編めそうだな」と手元にあったかぎ針でぬい服を編み始めます。
帽子を編み、トップスを編み、ボトムを編み。
いろいろ編んでいくうちに

「あ、今ならあみぐるみ作れる気がする」

 そんなことが脳裏をよぎって、当時流行っていた「あまびえチャレンジ」に乗っかって、あまびえを編みました。
それがすべての始まり。
そのあまびえを欲しいと言ってくれた人がいて、さらには販売しないのかと問い合わせが殺到。
自分でもこれにはびっくりしました。
みんなどこか寂しかったんだと思います。

 単純なあみぐるみじゃ他の作家さんと同じ、いや技術が追いついていない分マイナスだと思い、自分の得意な天然石との組み合わせを思い付きます。
中に天然石を入れて、特別な編みぐるみに仕上げた……

 それが「あみつくも」の始まり、そして「スピリチュアル系あみぐるみ作家」の始まりでした。

長くなりましたが、これが私の生い立ちと、あみぐるみ作家になるまでの物語です。

 今はありがたいことに毎月アクセサリー作家をやってた時以上の売り上げをだし、即完売や再オーダーなど毎日あみつくも作り、ネット記事に取り上げてもらうなど様々な経験をさせてもらいながら、専業作家として生活しています。

 このマガジンではそんな私のマーケティングやブランディング、考え方などを発信していきたいなと思っておりますので、気になってくださった方は是非フォローやお気に入り登録をしていただけると嬉しいです。

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