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美しくて小さいものが好き?

実は、仕事絡みで始めたnoteですが、文章を書くことが割と好きな質で、何より好きな料理とワインについてちょっと書いてみようかなと思った次第です。只今、午前2:37…書いて大丈夫か?

小さいころから食いしん坊というか、とにかく、白いお皿にちょこんと盛られた料理をテレビ越しに見たとき、キューンとハートを射抜かれました。芳村真理さんが司会を務めるあの料理番組、「料理天国」です。

2〜3口で食べきれてしまいそうな料理が、その何倍もある大きなお皿にちょっとだけ盛られている。それをナイフとフォークで食べる姿に、人口5,000人程度の山間部にある小さな田舎町で生まれ育った少女は、すっかり魅了されてしまったのです。

「あれは何だろう、でもとてもきれい」

「”龍虎”というおじさんは何なんだろう」

そんな気持ちも抱きつつ、『たまに行くならこんな店』のコーナーで登場する若き日々の辰巳琢朗氏は、ちょっとインテリなお兄さんとして憧れていました。

そう、そう。

母の弟のである叔父は、私たち兄弟にとても良くしてくれました。そして、ちょっとだけインテリチックで、小学生から中学3年までの9年間、『小学〇年生』と『蛍雪時代』を年間購読してくれました。叔父は進学したかったみたいですが、農家の長男だから農業高校に行かされ、就職も曽祖父や祖父と同じたばこの専売公社でした。いまでいう、JTですね。

甥や姪にである私たちには、少しでも教育を施したかったらしく、まだ、20代だった叔父は、私たち兄弟3人に同じようにしてくれたのです。そんな叔父が私は大好きで、幼稚園までは結婚したい人、ナンバー1でした。

何となく、辰巳琢朗氏と叔父がちょっとだけ、ちょっとだけ重なる・・・。

それはともかく、話を戻します。

小学校低学年から料理に目覚めた私は、学校の図書館で料理本を借りてきては、方眼ノートにレシピを書き写していました。それもイラスト付きで。時に、叔父が年間購読してくれた小学〇年生に掲載されたお料理コーナーのレシピもスクラップしたりもしました。

そのノートは小学校を卒業するまで続き、全8冊にもなりました。

さて、ワインとの出会いは…これはもう少し先です。

ワインに出会う前に、お酒というものに興味を持ったきっかけをまずお伝えしたいなと。

子どもの頃は、お酒を飲むのは、七五三とお正月くらいでしたが、祖母が「よっつずみ(=ガマズミ)」という小さな赤い果実を焼酎で漬けていました。鮮やかな赤い色をした「よっつずみ酒」は、砂糖もたんまり入っていたと思われ、甘くて美味しくて、色もとてもキレイでした。私はこの果実酒を大変気に入り、3歳くらいからよく飲んでいたらしいのです。(証言者:祖母、兄)

しかし、割と真面目な少女だったので、周囲がやんちゃを覚える頃になっても、アルコールを飲むような機会はほぼゼロ。よっつずみ酒にハマった3歳児はその後、お酒には特に興味はなかったのでした。

大学生になり、ありがちな新歓コンパでは、流行していたピーチツリーフィズやカルーアミルクを1杯飲んだだけで出来上がってしまうほどお酒は弱かったです。しかし、福島出身というと「酒どころだね」と言われ、また気の強そうな顔立ちも相まって「酒強そうだね」と。

もともとキャラ的にも、カワイイタイプでもなく、どちらかというと頼り甲斐がある姉御肌。

内心は、チヤホヤされたい気持ちもあるものの、浮かれポンチな女子にはなりたくないという気持ちが強く、余計にそんな雰囲気を醸し出していました。

それで、酒が強くなりたいと思うようになったのでした。

気づけば学生時代、仲良しだった友達は、秋田・新潟といずれも酒処。ならばと、お互いに出身地の日本酒を持ちよることも。小学生から始めた料理は、その頃には、ある程度のものは作れるようになっていましたので、独り暮らしのアパートに友人たちを招き、ご飯会や飲み会をよくしていました。

しかし、それだけでは、酒に強くなることは一向になく、しかも食事をとりながらアルコールを飲むとすぐ腹が膨れてしまい、飲めないし食べられない。飲むなら食べないようにしないと持たないことがわかりました。そして決まって眠くなってしまいます。秋田・新潟出身の2人は、もともと体質が違うのかそれとも英才教育なのか、めっぽう酒が強く、私は早々にリタイヤし、小料理屋の女将のようにつまみを作っていました。

私の父や祖父、叔父たちなど、周囲は酒豪揃い。ビールなんて酒じゃないと言っていたくらいだから、実家にはいつも日本酒がありました。父の酒好きを知って、親戚もご近所さんも何かあれば酒をもってくるので、酒は溜まる一方。父は「俺が買った酒は1本もないんだ」と妙な自慢や言い訳をしながら、毎日、晩酌に勤しんでいました。

ですから、酒飲みが好きなつまみはよく知っていましたし、それを横からつまみ食いしていた私は、つまみ類が好きでした。(父のつまみの定番、いかそうめんはいまでもすきです。)

そんな私に1つ目の転機が訪れました。

ある日、大学から帰ると、近所の居酒屋がちょっと小洒落たBARにリニューアルされていました。居酒屋は苦手でしたが、BARには興味がありました。私もご多聞にもれず、その時代の女子大生を謳歌していたのか、カクテルなら女性が飲んでも様になると勝手に思っていました。

余談ですが、私は大学受験に一度失敗しており、一浪して大学生になりました。一浪しても志望校には合格しなかったという点では2度目も失敗したのですが、まあそれなりに学生生活は楽しんでいました。 

そうそう、浪人中のモチベーションは、「あすなろ白書」と雑誌「Camcan」でした。

「Camcan」はキャンパス(Campus)で、できる(can)という意味だったと記憶していますが、そんなコンセプトも響いて、Camcanに登場するような大学生になることが憧れでした。

有言実行で、晴れて大学生になってからは、キャンパスにはパンプスを履いていき、コンサバティブ系のキレイ目な服装をしていきました。しかし、私の大学は1.2年時のキャンパスは埼玉で、あまりそういう感じでもない学風で、ちょっとギャップがありました。恐らく、今の私を知る人は想像しにくいがもしれませんが…。

なので、確固たる大学生像が完全に出来上がっていた私は、居酒屋でコールをかけながら飲むなんて実は絶対やりたくないことに等しかったです。(実態は、求められたやりきる性分なので、やってました…ハイ)


また脱線しました。戻りますね。

それで、最寄駅の駅前にあったBARは「JETBRACK」といい、ハイネケンだったかジーマだったかのネオンが飾ってあり、ガラス張りで店の中が見える構造でした。

大学2年になった私は、少し都会の生活(といっても住まいは埼玉)に慣れたのか、思い切ってそのBARに入ってみました。カウンターに案内され、メニューを渡されましたが、正直よくわかりません。ビールは苦手だし、ウィスキーや日本酒は到底無理。子どもみたいだけど甘いカクテルなら飲める。

ふと目をやると、店内に人気のカクテルがボードに書いてありました。勉強がてらこのトップ10を順にいただこうと思い、バーテンダーさんにその旨伝えると、「これは飲み口はいいけどアルコール強めだよ、大丈夫?」と。そういわれると自信がなくなり、では次のカクテルをオーダーすると、「ああ、このカクテルは、女の子を酔わせるために飲ませるカクテルだから、うーんともうちょっと違う感じがいいんじゃない?というかお酒、飲めるの?」と。

結構、BAR来てます風を気取っていたつもりでしたが、もうバレバレ。そこでやっと正直に、お酒が強くなりたくて来たことを伝えました。

そういうことならばと、まずはアルコールがそれほど強くないカクテルを作ってくれました。

それから、好きな味とか香りとか、そんなことを話すうちに、ピーチツリーフィズ1杯でノックアウトだった私が、3杯くらいは楽しめるようになりました。

そして、小さなグラスに色とりどりのカクテル。チェリーを載せたり、生クリームを使ったり。カクテルのその様は、ジュエリーみたいで見ているだけでも楽しかったんです。

この感覚、小さいころの料理天国の感動にちょっと似ているかも。

それからというものの、そのバーテンダーさんがとても良くしてくれたのもあり、カクテルに興味を持つようになりました。そう、最初に買ったアルコール関係の本はカクテルの本でした。。そして、21歳の夏頃から私のBAR巡りの日々がはじまったのです。






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