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草原に突如現れたダイニング!?

「なぜ、孫の手トラベルのFoodCampを推すか?」シリーズ17回目。とうとう、あのFoodCampに出会います。一目会ったその日から・・・とは、まさにこのこと。

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田舎美学案内人

 福島での新生活をスタートさせた私は、引き続き、法人営業のコンサルタントを続けていました。ですから、またしても、生活の基盤は福島にありながら、東京またはそれ以西に月に数回は訪れるような生活をしていました。

 しかし、以前より仕事のボリュームを減らし、部下もいなくなったので、比較的土日はプライベートに時間を使うことが出来ました。ちょうどその頃、実家の父が長年取り組んでいた公園が完成したのです。

 この公園は、すべて父の手作りです。町内から磐越道にアクセスする道路ができ、その道路が実家の山にかかってしまい、山裾の方と土地が分断されてしまいました。それをきっかけに、父は中古のショベルカーを購入し、自ら整地。山の水を引いて水洗トイレや池を作り、山の木でシーソーやあずま屋を作りました。さらには、親戚の大工さんに頼んで小さな山小屋を作ってもらい、宿泊もできるようになりました。

 父は兼業農家でしたが、平日は会社へ出勤する前の2時間、土日は農作業の合間を縫って少しずつ、少しずつその山に手を入れていきました。かれこれ四半世紀近くかかりましたが、山を自分の思うように作り上げていく、それ自体が楽しみのようでした。

 毎年、4月下旬には山桜が、5月半ばには自生した山ツツジが見ごろを迎えます。6月下旬から7月には挿し木した紫陽花が公園中に咲き乱れ、道路を通過する車が時々、減速して眺めていく様子もありました。

 父は、地域の人が集まる場所・憩いの場所を作りたかったようです。小さなお子さんを連れて散歩にくる若い夫婦や、近くで農作業をしている方々が休憩所として使ってくれることをとても喜んでいます。父は、「田舎には田舎の美学がある。それを案内する、田舎美学案内人だ」と自らを称しています。

山の想い出

 父が公園化した山は、私のお気に入りの山でした。春には山菜が、秋にはきのこが採れました。また、幼稚園の頃、クリスマスをやりたいと父にお願いすると、

「もみの木なら、鴻の巣の山にある。明日山に行ぐが?」

といって、12月に入ったある日曜日に、もみの木を目当てに一緒に山へ行った時のことを覚えています。

 実家はずいぶんとクラシカルな家で、クリスマスなるものは幼稚園に入るまで知りませんでした。また合理主義者の父はイベントごとはあまり好まず、子どもにファンタジックな思い出を作ろうという概念が希薄のようにも見えました。

 ある日、幼稚園で仲良くなったお友達の家に行くと、クリスマスツリーの飾りつけを手伝うことになりました。私は、それが何かわからず、

「これなあに?」

と尋ねると、友達は、それがクリスマスであることを教えてくれました。金色や銀色のひらひらした飾りや、赤い球のようなものがとても美しく見えました。しかし、まだまだ使えそうな飾りでしたが、新しく飾りを買い替えたので古い飾りを捨てるといいます。私は、そのクリスマスツリーにグッと来てしまい、要らなくなった飾りを譲り受け、家に持ち帰ってきました。

 すでにサンタクロースは実在しないと理解していたので、私にとってクリスマスは完全にイベントごっごでした。お友達からもらってきた飾りだけではかわいそうだとなり、父が電飾を買ってくれました。そして、母は、クリスマスケーキを奮発して郡山の三万石に注文してくれました。そして、私は、少ないお小遣いで家族全員にクリスマスプレゼントを用意しました。幼稚園生のお小遣いは100円か200円だったと思います。お兄ちゃん達には、30円のチュッパチャプス、おばあちゃんには20円のチョコレート掛けのお菓子といった具合に、近所の駄菓子屋でプレゼントを調達しました。

 そして、肝心要なクリスマスツリーは、予想外の展開に。山では、数あるもみの木のうちこれが一番かっこがいいと選びに選んだものでしたが、いざ、家に入れようとすると大き過ぎて入りません。実家は昔、囲炉裏があった古い民家で、天井は一般的な住宅よりもかなり高くつくられていました。それでももみの木は入りません。仕方なしに、だんだん足の方から切っていくと、山で見たカッコよさは失われ、葉もまばらになってしまいました。それでも私は嬉しくて、もみの木の先端に折り紙で作った星をつけ、電飾を回し、丸い球をかざり、クリスマスツリーを完成させました。

 クリスマスがやってくるまでの数日間、居間の大部分を占拠したもみの木でしたが、いつもと違った華やかさに心躍る日々でした。そして、いよいよクリスマス・イブ。母が頼んでくれたケーキをみんなで待っていました。

 しかし、その年のクリスマスは近年稀にみる大雪。大渋滞で郡山から30km以上離れた私たちの町に、今日届けるのは無理との連絡。それを知った親戚のおばさんが、勤めているスーパーのケーキを持ってきてくれました。さらに、大雪で停電のため、ろうそくを灯しながらのクリスマス会でした。

 その年以来、私が実家を離れるまで、毎年、12月になると、父は山へ行き、もみの木を切ってきて、クリスマスツリーを飾られるようになりました。

 さらに、その時のことがヒントになったのかわかりませんが、今では、毎年同じ時期になると部落のメインストリートにイルミネーションを灯し、町の賑わいを取り戻す活動を続けています。

感度の高い情報は、感度の高い人からやってくる

 都合の良いことに、父が作ってくれた公園のヘビーユーザーは、キャンプ好きの主人になりました。新しいテントを買っては、テント張りの練習したいといって山(の公園)へ行き、BBQのインストラクターのパスをもらったからといっては仲間を呼んでBBQをしたり。私もかつて遊んだ山で再び、遊ぶようになりました。

 そんなことを定期的にしているうちに、これを大人のソトメシ倶楽部(略してOTOSOTO)といって商標まで取ってしまいました。単なる愛好家団体ですが、とにかく外でご飯を食べるのが好きだったので、いつかはこの山でみんなが楽しめたらいいなと思っていました。

 実家の山でキャンプしたり、山菜摘みを楽しんだり、コーヒーを淹れて読書をしながら木陰で休む、そんな贅沢な休日を過ごすようになりました。実家の山以外にも、ちょっと車を走らせれば、猪苗代湖、安達太良山、いわきの海沿いなどビュースポットは数知れず。福島に戻ったと同時にぺーパードライバーを卒業して、初めてマイカーを持ちました。猪苗代湖畔を車でドライブした時、その景色のあまりの美しさに思わず涙が出ました。

 福島の自然や豊かさに少しずつ気づき始めた頃、衝撃的な出会いがありました。それがFoodCampです。知人でメディア関連の仕事している方が、SNSでFoodcampをレポートしていたのです。私はその投稿を見て、釘付けになりました。高原のログハウスのような施設の軒下に、雰囲気のあるダインニングと、キッチンカーと呼ばれる調理設備が整ったトラックを横付けし、出来立てのお料理が提供されていました。夕暮れ時に合わせて弦楽器四重奏が流れ、ゆっくりと山陰に日が落ちる。お料理も本格的で、その土地で大事に飼育された子羊のソテー、地場野菜の前菜やスープ。センスを感じるコース仕立てのお料理に、美味しいお酒やワインetc.

 「なんじゃこりゃー。どこ?どこでやってるの?」

何度も何度もその投稿を見直し、それが、孫の手トラベルという郡山の旅行会社が企画したものということが分かりました。

 山での体験も、憧れた料理天国の世界も、なにもかにもがそこに詰まっているように見え、居ても立っても居られなくなりました。

 「行きたい!」

 いつの間に福島で、こんなオシャレなツアーが開催されいたものかと、ちょっと浦島太郎気分でした。しかも、地元企業がやっていることに二度びっくり。感度が高い人は、やっぱり感度が高い情報をキャッチするものだなとも思いました。今まで福島に見向きもしなかった自分を、正直、その時は恥じました。

 もしこれが、本当なら自分の目で確かめたい、そして体験したい。そんな気持ちで、次のFoodCampの情報を、今か今かと待つ日々がやってきました。

(つづく)

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【孫の手トラベルのクラウドファンディング】

プロジェクト終了まで、あと3日になりました。現在、目標達成率は54%です。なかなか道は険しいですが、是非、よろしくお願いします!

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