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土木の風景

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今までに出会った「土木の風景」についてFaceBook投稿や、冊子に投稿した記事などを寄せ集めました。興味のあるかたは、のぞいていってくれると嬉しいです。
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2024年2月の記事一覧

再生

西海橋工事誌番外

お忙しいかたは最後の30秒だけでもみてみて! 西海橋の模型品質には自信があったけど、これには完敗です。。

西田橋との再会

1ヶ月くらい前、NHKで再放送やってる「篤姫」を見てたら、西田橋が出て来て、無性に鹿児島に行きたくなり、本日、新幹線を使った日帰り旅行を決行。 詳しい説明は省くけど、西田橋は、30年くらい前、移設か現地保存かの議論に関わったことがあり自分にとって思入れの強い橋。 公園に移設されて、橋の下で子供が楽しそうに水遊びをしているのを見てぐっとくるものを感じる。あの頃の私は移設反対派で、いろいろ顰蹙なことをやったんけど、この未来に繋がったわけね。。と、感傷に浸る。 「これはこれで橋

通潤橋の弟「ひ」洗玉橋(2023ponte投稿)

ひふみよ橋のポンテ投稿をきっかけに、「ふ」の橋のたもとにある「ほたると石橋の館」の館長内田 理絵さんと縁ができ、石橋にかかわるイベントに声をかけていただけるようになりました。一〇月二一日は、「ひ」の橋「洗玉橋」の架橋一三〇年の記念イベントにお声掛けいただき、夫婦で参加したので、報告します。 一、今でも愛される洗玉橋  イベントは、「八女上陽の『ひふみよ橋』を守る会」の主催で朝一〇時~一五時まで、半日かけて行われた。マイクロバスによる現地移動~神主さんによる神事~記念橋渡り~

続々:上陽町「ひふみよ橋」の運命(2021ponte投稿)

(前回からの続き)  バイパス水路まで設けて、四連の石造アーチを守った宮ケ原橋について、より詳しいことを知るために、私は八女石灯ろう協同組合に電話をし、取材の申し込みをした。ひふみよ橋の「ふ」の橋のたもと「ほたると石橋の館」の館長内田さんを紹介いただき、いろいろな話を伺った。  高欄の工事を行った業者は、県外本社の建設業者で、残念ながら八女石灯篭組合は、予算等の関係で工事には関わることが出来なかったとのこと。工事の当事者ではない前提となるが、話を伺い、判った範囲のことをお伝え

続:上陽町「ひふみよ橋」の運命(2021ponte投稿)

 転勤で東京から九州の人になったのは九年前の平成二四年。その年の七月に福岡・熊本・大分県に大きな被害を与えた九州北部豪雨が発生。私はそのまま若干ながらも福岡県八女市の復興に関わることになった。  平成二五年に発刊したポンテ39号では、当時の被災の状況と八女市の観光資源、上陽町のひふみよ橋が受けた被害についてレポートをしたが、本稿では、その続き、ひふみよ橋の復興について報告したい。  ひふみよ橋とは、福岡県八女市上陽町の星野川にかかる四つの石造アーチ橋群の総称で、星野川の約二、

上陽町「ひ・ふ・み・よ橋」の運命(2013年ponte寄稿)

1、博多祇園山笠と九州北部豪雨  博多の夏は770年の歴史をもつという祇園山笠祭りで始まる。山車を引きながら街を走って回り、タイムを競う7月15日の「追い山笠」をクライマックスとし、七月になると一日から博多の街の至る所に「飾り山」と呼ばれる高さ10mはあろう華やかな山車が飾られ、街にハレの雰囲気が漂ってくる。  私が博多に赴任して間もない昨年、「追い山笠」の数日前から前日にかけ、九州北部は激しい雨に見舞われた。道路や駅は冠水し、川もあわや氾濫というところまで水位が上昇し肝

カッパの街田主丸訪問

福岡に約10年住んでるのに未踏の地、久留米の田主丸に行ってみる。町の中カッパだらけ😀 こういうの、景観デザインの定石としては、アウトだろうけど、ここまでやっていると、逆に感心する。 ↓下記カッパマップ見てみて!↓ https://www.tanushimaru.net/kappa 9月 09, 2023 8:06:34PM

お彼岸のひまわり

とりたてて予定の無い3連休。季節はずれだけど柳川のひまわりが満開と聞いて見に行く。 6月の水害で種が流されて植えなおしたため、こうなったらしい。 堤防の外は有明海の干潟。皆さんが楽しそうに写真撮ってるのを見ていると、こちらもなんとなく幸せな気分になる。

神風がむすぶアジアハイウェイ(2015年ponte寄稿)

 福岡に赴任し、三年になります。仕事柄高速道路を多用しますが、道を走っていて気になるのが福岡都市高速の、「ある場所」に掲げられているAH1の標識。これは「アジアハイウェイ」の略称。何も知らない当初は「福岡は国際的だな〜」の感想しかもちませんでしたが、標識の裏に隠れたロマンが見えてきたので紹介します。 1.アジアハイウェイ構想  「アジアハイウェイ」とは、福岡の人が思いつきで付けた呼称ではなく、現在のシルクロードを目指し、1959年に国際連合アジア極東委員会にて提唱された道

新天地「福岡」の景観(2012年ponte寄稿)

1.はじめに  私事で恐縮だが4月から、46年慣れ親しんだ関東を離れ、単身赴任で博多に住んでいる。ponteの編集に関わっている身ではあるが、この生活はしばし長くなりそうなので、これからもこの紙面で九州の話題をお届けしていきたいと思う。語りたいことはいっぱいあるが、今回は住環境が変化した、混乱の過程で「景観の評価」に対し自分なりに考えることがあったで、ここに書き留めたい。 外からの視点と内からの視点  初めて博多に住み始めたとき、自分の心の中に「不安感」が生じた。これは

公共事業と遊び心(2010年ponte寄稿)

 イングランド北部の都市ニューカッスル・アポン・タイン。観光地としての著名度は低いが、かつては軍事上の拠点であり、造船と貿易で栄えた歴史ある街である。橋のある街として知られ、街の中心を流れるタイン川には七つの橋がまとまって架かっている。桁橋、アーチ、トラス、と十分も歩けば橋の展覧会さながらの景観が楽しめる。ひとつひとつの形状はまったく異なり、様々なシルエットが錯綜する。形態や色がまったく異なる橋であるが、どれにも共通している点が一点ある。それは大型船舶がくぐるため、橋脚が非常