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#27 りょうちんさんにインタビューしてみた(1)

こんにちは。あっき~です。
このnoteでは身のまわりの音楽をやっているバンドマンやシンガーや音楽に携わる人にインタビューをして、その人となりを知ってもらおうというコンテンツです。

今回はりょうちんさんにインタビューをさせてもらいました。
AIR MASTERというオリジナルバンドで活動していたころの話から、主催兼出演者でライブに出られていたLOID大戦というイベントの話まで幅広く話を聞かせてもらいました。

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ドラムをはじめたきっかけ

蜀咏悄 2005-12-12 21 52 15

あっき~
今日はよろしくお願いします。

りょうちん
よろしくお願いします。
何でも答えるんで。

あっき~
じゃあ早速ですけど、ドラムをはじめたきっかけってなんだったんですか?

りょうちん
僕ね、中学のときにギターをはじめたんですよ。
アコギを。
高校に入るくらいのときにエレキギターを買ってもらって。
で、軽音楽部に入ったんですよ。

あっき~
そうだったんですか。

りょうちん
軽音楽部に入ったらバンドが組めるだろう、と思って軽音楽部に入りました。
1年生のころは先輩に教えてもらいながら、エレキギターの練習からスタートしたんですよ。
それで、高2くらいで「そろそろバンドを組もう」と思ったときに、先輩がやらかしてしまって。

あっき~
やらかした?

りょうちん
学祭のときに経費を使いすぎてしまって、学校側から怒られて。
それ以降は、軽音楽部の運営に学校の予算が使えない状況になったんですよ。
先輩たちはその状況にスネて、辞めてしまって。
僕が高2になったときに、先輩から「お前、部長な」って言われて、先輩たちは軽音楽部を辞めていったんですよ。

あっき~
いきなり大変ですね。

りょうちん
予算はないけど、軽音楽部をちゃんと成り立たせるにはどうしたらいいか、と考えて。
とりあえず、バンドを組んでなんとか部活として活動できるようにしようと思って…

あっき~
ほうほう。

りょうちん
思ったんですけど、そのときドラムが一人もいなかったんですよ。

あっき~
おぉ、そうなんですか。

りょうちん
ギター(の部員)は山ほどおる、ベースもまぁまぁおる。
ボーカルもまぁまぁな人数だったのに、ドラムだけいなくて。
で、ギターが弾けるメンツを見渡したときに、「このままギターをやったとしても、埋もれてしまうんじゃないか」と思ったんですよ。
っていうきっかけもあって、なおかつ、部長として部活を運営しないといけないっていうのもあったから、ドラムをやるようになったのがきっかけです。

あっき~
すごいなぁ。

りょうちん
そしたら、ドラムをたたいたこともないのに、いきなり5、6バンドかけ持つことになったんですよ。
それが後になって思えば良い経験やったんですけどね。
J-POPをコピーするバンドもあれば、メロコアのバンドや青春パンクのバンド。
後は、洋楽したいバンド、椎名林檎とかロックをやりたいバンド。
(ジャンル的には)より取り見取りのバンドを僕一人で、短期集中でコピーしたんですよ。

あっき~
へぇー。
ドラムをはじめたばっかりで、よくそれだけ数をこなせましたね。

りょうちん
だけど、本当に見よう見まねですよ。
当時の演奏を見返したら恥ずかしくなるくらいの演奏ですけど。
とりあえず、色んなジャンルを広く浅く演奏してたのが最初ですね。

あっき~
じゃあ、自分の意志とは関係なく、ドラムをはじめたんですね。

りょうちん
でも、自分の中のどこかに「ドラムって楽しそう」っていうのがあったんだと思います。

あっき~
それは誰かがドラムを演奏してるのを見て、ドラムって楽しそうと思ったとか?

りょうちん
ギターを弾いてたときに、GLAYとかは曲がカッコイイなと思って好きやったんで。
それで自分がドラムをやるようになってから、ドラムに注目して聞くと「ドラムってカッコイイな」とは思いましたけど。

あっき~
当時はやっぱり、J-POPとかを聞くことが多かったですか?

りょうちん
J-POPと、後は流行ってたっていうことでいうと、メロコアとか。
ドラムをはじめる前にギターを弾いてたころは、ハイスタとかコピーしてましたね。

あっき~
それはそれで見てみたい気もするけど。
じゃあ、高2からドラムをはじめたんですね。

りょうちん
そう。
ドラムをはじめて、部長やったんで、学祭のことで生徒会と相談したりとか。
学祭は学校から予算が出ないから、PAは自前でやったんですよ。
知り合いが楽器屋の店長やったんで、機材をレンタルして、うちの会社(※)の社員にトラックで機材を運んでもらって。
※ご実家はおじいさんの代から続く会社

あっき~
うんうん。

りょうちん
PAのエンジニアも雇うお金がなくて、どうしようかと思ってたら、楽器屋の店長から「勉強して、やったらいいやん。(PAの)機材なんて壊れるものじゃないから」って言われて。
で、PAのことを一から勉強して、学祭でライブができるようにしました。

あっき~
ドラムをはじめて間もないのに、PAのことまで勉強してすごいですね。

りょうちん
音楽のことなら、なんでも興味があったんですよ。
今でもレコーディングとかドラムの録音とかも自分でするけど、やっぱりPAのことを勉強してる経験が効いてますね。
まぁでも、楽器屋の知り合いがいたり、今もですけど、人の出会いは恵まれてると思います。

あっき~
なるほど。
そうやって学祭でライブするために仕切ったりするって大変だと思うんですけど、そのへんは大丈夫やったんですか?

りょうちん
そういうのが好きやったんで。
先輩から部長を頼まれた時点で、周りから見てもそうやったんやと思います。

あっき~
確かに、りょうちんさんが仕切ってくれるなら大丈夫っていう安心感はあります。

りょうちん
そうやってドラムをがんばってやってたときに、周りにライバルと思えるような人がいなくて。
軽音楽部のドラマーが増えて数人いたけど、そこまで熱心に活動するタイプでもなかったし。
ライバルがいなかったから、ドラムが演奏できることで天狗になってたんですよ。

あっき~
ドラムをやってる人って少なかったですよね。

りょうちん
そうそう。
周りからも求められるし。
それで何を血迷ったのか、高2の冬ごろにバンドのメンバー募集サイトを見て、学校の外でバンドを組もうとするんですよ。

AIR MASTERとの出会い

りょうちん
それで、ドラマーを募集してるバンドに応募したんですけど、そのバンドがAIR MASTERっていうバンドやったんですよ。

あっき~
そうなんですね。

りょうちん
やっぱり、当時はドラムをナメてたんですよね。
ドラムをたたける人自体少なかったから、ドラムの良し悪しについて何もいわれなかったし、リズムがキープできたらすげー、みたいな。

あっき~
AIR MASTERの他のメンバーはりょうちんさんと同じくらいの歳の人だったんですか?

りょうちん
いや、僕より6歳上やったかな。
メンバー募集に応募したとき、「高校生だけど大丈夫ですか?」って書いたのをすごく覚えてます。
それでスタジオに入ってみて、「伸びしろはあると思う」っていうことでバンド入れてもらいました。
でも、ライブの後はけちょんけちょんに言われてましたよ。
今までもライブに出たことはあったけど、「友だちが出てるから」っていう理由でライブを観に来てくれるようなイベントだったから、見ず知らずの人がチケットを買って、本気で観に来てるライブではなかったんですよね。

あっき~
インディーズバンドのライブでライブのクオリティが求められるようになったんですね。

りょうちん
けど、「ど」のつく負けず嫌いなんで、何を言われても、「絶対に見返してやるから」と思ってやってたから、かなり鍛えられましたね。
周りも僕の性格をわかって言ってたのかもしれないですけど、とりあえず凹ませとけば何かやりだす、っていうふうに見られてたのかも(笑)

あっき~
そうなんですか(笑)
高校生のころからインディーズバンドで活動するのって色々大変だったと思うんですけど、金銭面はどうしてたんですか?

りょうちん
空き時間にバイトしてました。
家業があったんで、家の手伝いをしてましたね。
もちろん、家以外のバイトでも良かったんですけど、じいちゃんから「家の外でバイトするなら、家の仕事を覚えろ」っていうのもあって。

あっき~
なるほど。
予定を立てるところはどうでした?

りょうちん
AIR MASTERで活動するようになって、地方でライブすることも多かったから、学校を休むことも多かったんですよね。
ただ、うちの担任は結構面白い先生で「将来のことを考えて活動してるなら、別に良いやん」っていう考え方やったんです。

あっき~
ライブで学校を休むのは公認やったんですね。

りょうちん
そうですね。
単位を落としたりしないなら、別に休んでも良い、って言われてました。
でも、高校3年生のときの体育祭とライブの日が被って、体育祭は出られなかったんですよ。
結構楽しみにしてたんですけどね。

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次回に続きます。

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