画像1

水域

StudioMarusan.
00:00 | 00:00
「音日記」三日目。
今回のはまあまあいい感じにできたと思う。
その必要があるかどうかは別として、曲を長くするのは、難しい。
少なくとも、僕は、一定のテンポや拍子、パートなどを、意図的に排除するというわけではないが、少なくともそれを確固としたものとしては前提しない、というやり方で曲を作ってみているので、とりあえずの全体像、みたいなものを先に作ってしまって、その後でディティールを考える、みたいなことができない。
繰り返すようだけど、僕は明確な規則や秩序、繰り返しが曲中にあることを避けているのではなくて、ただ、そういったものがあくまで曲の流れの中で、自ずと生成、創発しつつ、いつ崩れてもおかしくない状態でなんとか留まったり、やはり崩壊してしまう、という物音=音楽ができないかと思っているのだ。
ところで、DAWはそういった音楽を作るのに、実は適しているのかもしれない。
DAWは言ってみれば、音声を、指定された時点において、同時並行的に再生できるマシンにすぎない。そこにおいては、同時的な音も、時間差をおいて鳴る音も、互いに外在的であり、その意味において、それらが重なったり、連続して聴こえたり、ましてやビートやリズムを形成し、「音楽」に聞こえてくるのは、偶然ともいえる。
(まあ、サイドチェインみたいな例外もたくさんあるし、もっと音楽を、音と音どうしを内在的に構成したいという部分があったからこそ、僕はプログラミング言語を使った音楽にも手を出してみたのだった。)
とはいえ、もちろん、道具には、それを作った人や集団の思想(ものの見方・聞き方)が多かれ少なかれ反映される。DAWには、「音楽とはこういうものだろう」「音声はこのように扱うのが多くの人の役に立つだろう」という思想が反映されている。DAWは、原理的には、ほとんどどんな音楽でも作れるかもしれない。けれど、何かが可能であることと、その何かを可能にするに至ることができることは違う。DAWにおいては、適当に音を並べても、音楽になってしまうのだ。それはもちろん、DAWの仕組みの問題だけではなくて、例えばなんてことのないオブジェクトが美術館に置かれることで「アート」になったりする、そんなところにもみられるような、別の力も働いていたりもするだろう。
とにかく、僕は、アドホックに音を選び、トラックを増やし、ファイルをコピーしたり切り刻んだりし、エフェクトをかけてみる。何か物足りなければ「そこ」に音を「置いて」みる。僕が、音(楽)像を、「念頭に置く」必要はない。コンピュータが、ソフトウェアが、そのかわりをする。その都度、まさに即興=演奏=作曲=演算を行う。僕はそれに伴走するのだ。
それはまるで、スキューバダイビングのようだ。あるいは、足場のない建設のようだ(マインクラフト?)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?