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河野達郎写真旅マガジン

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四国・大洲を中心に肱川流域の自然と営みや生活文化を、写真を通してお届けします。流域ご出身の多くの皆様方を始めファンの皆様方へ、写真家河野達郎がお届けする写真が語る旅物語です。 …
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#肱川街道写真紀行

月曜マガジン ボクのガタタンゴトトン

月曜マガジン ボクのガタタンゴトトン

気動車が音をたてて鉄橋を渡る城下町大洲の風景

 加藤家が13代にわたって藩政時代を治めた六万石の大洲城下。
 大洲市の南側に位置し高原盆地でもある宇和町に端を発した全長103kmの一級河川肱川が、最後の20kmを私たちの町から北西方向へ舵を切って伊予灘へと向かう。
 晩秋から冬は冷え込む。宇和町ほどではないが我が家でも朝の気温はいつも氷点下4度前後。真夜中に張り始めたモヤは明け方には大洲盆地を埋

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大洲盆地の雲海撮影

大洲盆地の雲海撮影

 肱川は、西予市宇和町と大洲市との境界付近にその水源があり、そこから河口の長浜町まで474本の支流を束ねながら約103kmの旅をする一級河川。そもそも大洲盆地から河口までの約20kmが北西に向かって流れ出ていることが、知る人ぞ知る「肱川あらし」を発生させることになる。

 肱川あらしの「発生要因」は、上流の大洲盆地の雲海の発生如何にかかっている。近年は気温の上昇など気候変動の影響と思われるが「本格

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月曜マガジン 肱川街道写真紀行

月曜マガジン 肱川街道写真紀行

肱川あらし-秋冬の風物詩Ⅰ 四国西南の入り口付近に位置する愛媛県大洲市。
 すり鉢の底に位置するこの街に流れ込む肱川は、源流から大洲市内中心部まで約18km、河口の長浜港までの距離も約20km。全長も103kmしかないが、支流の数だけは470本を超えており全国の河川の中でもその数の多さは5番目であると言われている。
 この河川の最大の特色は、大洲盆地から河口までは見事に北西に向かって流れ出ていると

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月曜マガジン 夏の終わりに。

月曜マガジン 夏の終わりに。

明日から9月。
 天候不順をあざ笑うかのように拡散するコロナ感染状況。それに負けてはいけないと思いつつ、どうしても引き気味になってしまった一ヶ月だった。7月に開催したソニー大阪での個展は、私にしては大変盛況に終わったと思っているが、今後に向けての課題が見えたことも事実なのでしっかりと頑張らなければならない。

肱川船上ステージ
 このイベントの撮影を依頼されていたので、事前に下見をしてよく考えて撮

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月曜マガジン 肱川街道写真紀行

月曜マガジン 肱川街道写真紀行

時代の勲章
 かつての時代には今日とは違った繁栄があった古い町並み。ゆっくり歩けば古の賑わいが脳裏を過るような錯覚にも陥る。泣き笑いの人生があり、商売繁盛に仲間達と祝い酒を酌み交わす日常が賑わいがあったことだろう。

 戦国時代の戦乱状態から脱却し、外様ではあったが加藤家を中心とした安定の藩政時代を迎えることとなった江戸時代。6万石の大洲藩にあって支藩で新谷藩の在郷町だったのが現在の内子町だ。
 

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月曜マガジン 肱川街道写真紀行

月曜マガジン 肱川街道写真紀行

 肱川流域の冬、早春とはいえ2月の大洲盆地の朝はめっぽう冷える。四国の地図を見ると全長約103kmの肱川が見事に北西に向かって流れ出ているのが分かる。秋から冬にかけて大洲盆地を包み込む冷え込みと雲海、そして河口に向かって流れ降る「肱川あらし」は、この地域の地形と肱川の向きが要因とされる自然現象だ。北西の季節風は夜のうちに肱川を遡り大洲盆地に溜まる。そして夜明けが近づくと河口へ向けて流れ始め、河面か

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