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ビギナーズラック・チケット

俺はギャンブルの類は一切やらない。若いころに何度かやってみたことがあるが、一度も勝ったことがない。よく、誰でも一度はビギナーズラックで勝てることがあると聞くが、そのビギナーズラックとやらも体験したことがない。一度も勝てたことがないので、いやそのおかげでギャンブルというものは、ただの時間とお金の無駄なのだと強く認識することができた。

なぜビギナーズラックがなかったのか。なんとなく心当たりがある。恐らく自分には、ギャンブルに対してのビギナーズラックが、かつて一度あったのだと思う。しかしそれは子どもの頃だった。

幼いころ、俺の親父はよくパチンコ屋に行っていた。車で5分ほどの距離にパチンコ屋があり、親父は仕事帰りや休みの日になるとそこで遊んでいた。あるとき、なぜか俺も一緒にそのパチンコ屋にいた。もう30年以上前の話のなので記憶が曖昧なところがあるが、はっきり覚えているのは親父がパチンコ台の席を離れるとき、幼い子どもの俺に座らせて替わりに打たせたのだ。

恐らく親父はトイレに行ったかしたのか、しばらく俺だけになった。その間ハンドルを握り、玉を排出し続けた。当時は規制もゆるかったのだろう。店員に咎められることもなかった。そのうち、座っていた台が騒がしくなった。それから玉がたくさん出てきたような記憶がうっすらとある。

その後の記憶は断片的で、戻ってきた親父。笑顔の親父。お菓子のたくさん詰まった大きな紙袋を抱える親父。

それら断片的な記憶が残っている。それから何十年と経ってからようやく理解した。なんのことはない、俺はあのときギャンブルのビギナーズラックを使ってしまったのだ。それで玉がたくさん出て、親父が喜び。菓子をたくさんもらった、ということだったのだろう。

俺が持っていた、生涯で一度のビギナーズラックのチケットを親父にあげてしまったと、そういったことになる。でも、それでよかったのだと思う。もし、成人してからビギナーズラックに当たっていたら、そのままギャンブルにハマってしまったかもしれない。実際そのような話はよく聞く。

良きタイミングでチケットを使ってしまったのだと思えば、親父に感謝の気持ちが湧いてくるような、こないような。

2011年11月末 親父は他界した。

その一か月ほど前に、親父が入院している病院に外泊許可をもらい。家族四人で温泉旅行に行った。父、母、姉、俺。何十年ぶりかの家族旅行。何十年ぶりかに、バラバラだった家族かひとつになった。大阪の、不死王閣という温泉旅館。

チェックインし、部屋に入り料理を食べ。温泉に浸かった。大浴場から部屋に戻る途中、小さなゲームコーナーがあり、そこにパチンコ台が置いてあった。親父が座る車いすを押してパチンコ台に向かわせる。コインを入れると玉が出てくる。親父がハンドルを握る。

意識が混濁している時間も多くなり。もうあまり握力もなくなってきているのに、それでもしっかりとハンドルを握り、目は玉を追う。その表情は、あのときの、俺がガキのころに見た貌と同じだった。

玉が中央の穴に入った。台が光り、音が鳴る。親父の眼に、活力の火が宿ったように、俺には見えた。

その数週間後、親父は旅立った。俺は今でもギャンブルはやらないし、今後もやることはない。しかし、ギャンブルを好んでいた親父を見ていたからこそ、学んだことも多くある。

あのとき、俺のビギナーズラックのチケットを、親父にあげてよかったと思う。代わりに、すげえいいもんをもらったから。


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