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安心の音

早朝、強い雨が降った。 激しい雨音。屋根に穴が開いてしまうのではないかと思うぐらいの、強い雨だった。幸い、短時間で雨はおさまり、そのあと少し晴れ間が見えた。

ごおごお と響く雨音を聞いて思い出した。幼いころ、姉と共に聞いた雨音のこと。

雨が降る中、わざわざ家の外に出て、傘をいくつもさして地面に置き重ね、ドーム状にしてその中で過ごしたこと。

あのときの雨音のこと。

俺が小さい頃、あれは多分小学校に上がる前ぐらいだった。雨の日、たまに姉に連れられて、傘を何本かもって外に出た。

傘を2つ3つ重ねてドーム状にし、そこに体を縮めて二人で入り、ただ雨の音を聞いていた。もしくは、家の裏にある波板で囲まれた物置に入って、雨音を聞いたりしていた。姉と共に。

雨の日に姉が傘のドームに包まれて過ごしたり、波板の物置の中で過ごしたりする。そのことの意味を、当時はよくわからなかった。なぜそんなことをするのだろう、と。恐らく、姉としては傘のドームや波板に囲われて、守られた状況で雨の音を聞くことで、安心感を得ていたのかもしれない。

大きな何かに、自分が守られてるような、そんな気分を味わっていたのかもしれない。

守られた中で雨音を聞くと、安心する。

人間の行動というのほ、そのほとんどが何らかの形で、 安心感を得るためのものなのかもしれない。 仕事をするのも、勉強するのも。人と関わる事も、人と別れることも。最終的には、安心するため。

結局はそこに帰結するのだろう。

幼いころ、あの傘のドームの中で、俺はなんだかワクワクしていた。けれど姉は、安心感を得たかったのかもしれない。言いようのない不安を、雨音で消したかったのかもしれない。

ただ、安心の音がほしかった、それだけなのかもしれない。

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