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怪談『スタジオ』

「いやあ、俺は別に霊感とかそういうのはないんだけどさ」

友人の紹介で知り合った、某テレビ局で美術の仕事を四十年以上しているベテランの長澤さんは、軽快に笑った。

「働いてるのがテレビ局だからさ、色々とこう、なんか視た、みたいなことをいう人はいるわけ」

渋谷の某居酒屋。長澤さんと、彼の部下である、まだ二十代の衣装班の小野t寺さんと共に酒宴を開いていた時の話。

「どこそこのスタジオに白い女の人がいたとか、シャワー室で、いないはずの人に話しかけられたとかはさ、よく聞く、ああ、そういうこともあるかもね、って話の一つなんだよ」

そんな長澤さんが、一度だけ、霊を視たことがあるらしい。

「小野寺ちゃんも一緒にいたよね?」

そう尋ねる長澤さんに、

「ええ、まあ、はい」と、小野寺さんは曖昧に返事をする。

「俺らの班で仕事してて、夜中二時過ぎくらいに、撮影が撤収になって、制作陣や役者は帰るわけだけど、俺らはそこからも仕事があるわけ」

人気の無くなったスタジオで、美術の長澤さんや衣装の小野寺さんは仕事をしていたという。

「突然、知らない人が現れてさ」

見たこともない男性が現れて、スタジオ内をうろつき回ってたという。

「で、そこでの責任者は俺だから、仕方ないから、どうしたんですか? って訊いたわけ」

男性は何も言わずに、スタジオの天井付近を指差したという。

「キャットウォークって言って、照明機材を吊る用の通路。あそこを指差したまま、動かないんだよ」

長澤さんは、キャットウォークになにかあるのかと思って、しばらく見ていたのだが、

「なんですか? って、視線を戻したら、もうその人いないんだな」

それで、変なこともあるもんだ、と、作業に戻った。

「それで、その日の作業は終わって、家に帰ってから、ああ、って思い出したんだけどさ」

そのスタジオのキャットウォークから、数年前、若い美術班の男性が落下する事故があり、長澤さんは、その人は治療の甲斐なく死んでしまったことを思い出したらしい。

「で、ああ、まだ成仏できないんだなあって、しみじみしたことがあったよ」

長澤さんはその後、そのスタジオに入る前は手を合わせるのだという。

 

終電近くになり、長澤さんと別れ、帰り道が同じだという小野寺さんと帰路を共にした。

「さっきの話ですけど」

小野寺さんは、突然口を開いた。

「長澤さんの言っていた話。あれ、誰も見てないんですよ」

どういうこと?

「長澤さん、スタジオに誰か男の人が来て、天井を指差した、とか言ってたじゃないですか。それ、誰も見てないんです」

えーと、つまり。

「誰もスタジオに来てないし、長澤さんだけに見えていたとかでもなく、長澤さん、普通に仕事してただけです」

え、じゃあ、なんで、あんなこと言ったのかな。

「わかりません。でも、確かにそのスタジオで、昔、美術班の人が亡くなってるらしいんです」

私も聞いただけなんで、わかんないんですけど、と、小野寺さんは付け加えた。

「数十年前、長澤さんが初めて独り立ちして……その時の部下らしいです」

当時、特に長澤さんの管理不行届だとかの過失は問われなかったらしい。

「でも、今になって、突然あんなこと言い出すなんて……なんでだろ」

小野寺さんは、少しだけ考え、ハッと顔を上げた。

「同い年になるからかも」

どういうことですか?

「もうすぐ、長澤さんの初孫さんが、その、亡くなった部下の方と、同い年になるんですよ。だから、突然、そんなのが視えるようになったのかもしれないです」

そう言って、小野寺さんは路線が違うため、別れていった。

 

その数週間後、長澤さんとも小野寺さんとも再会はしていないのだが、二人を紹介してくれた友人から、長澤さんの初孫のお孫さんが、事故で突然亡くなってしまったことを聞いた。

それとほぼ同じタイミングで小野寺さんが衣装業界から引退してしまったことも聞いた。

それから数カ月後、引退してしまった小野寺さんに、なんとか連絡をつけて一連のことを電話で訊くと、

「まあ、ああいうふうに、因果の輪が一回閉じれば、また新たに芸能の仕事が出来る、って思う人らがいるんじゃないですか。私はもうそんなの、ごめんですけど」と言われた。

「酷いことしても、誰かが人身御供で死ねば、リセットされるから、また新たに酷いこと出来る、って世界で生きるのは、私には無理です」

長澤さんは、きっと平気なんでしょうけどね、と、付け加えられて、電話は切られた。

※登場する人物名は、全て仮名です。

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