「勉強しなさい」

きのう、学校をお休みした子どもとちょっとした言い合いになった。

学校を休んだことについてではなく、私が午前中に宿題などを終わらせてしまおうと言ったけど、子どもはそうしたくなかったというのが理由。

ここ最近、宿題や通信教育の勉強のことでもめることが多い。

夜、学校の宿題がなかなか終わらなくて、わからなくてつまずいて、教えても頭に入らないなんてことがよくある。じゃあいっそのこと明日の朝やろうなんて言って、朝少し早く起きてやってみると、夜とは比べ物にならないスピードで終わったりする。

だから、なるべく早い時間に終わらせてしまうことが肝心だと思うようになった。要は気持ちの問題なのだ。

そう思っていたから、きのうも「さぁ先にやることをやっちゃおう!」と言った。でも全くやる気を見せない子ども。しだいに私の口調もきつくなりついに子どもは泣きそうになる。どうして今やらなきゃいけないのか、どうしてそんなに勉強しなければならないのか。という疑問を投げつけてくる。

私はまず、今までの経験から早い時間にやった方がいいと思っていることを説明した。これはもう何度も二人の間で話されきた内容。本人もわかっているはずなのに、この日はどうもその気にはなれなかったようだ。よくよく話を聞いてみるとその理由は、この日は学校を休んだ=お休みして気持ちをリフレッシュする日、という位置づけだったからだとわかった。

そしてなぜ子どもはそんなに勉強しなければならないのか、という問いについて。小学校では、社会で生活していくのに必要な基本的なことを学んでいること。大きくなればなるほど、自分の興味のあることを勉強することができること。将来やりたいことが見つかったときに、その職に就くために試験を受けなければならないこともあること。大人になっても学び続ける人は多いこと、などを話してみた。でも理解されたか、ひびいたか、納得したかどうかはわからない。子どもの態度は変わらなかった。

私がやり場のない気持ちをぬぐい切れないでいると、子どもがメモ帳に書いた手紙を持ってきた。そこにはこんな感じの内容が書いてあった。

「ごめんね、宿題できなくて。でも宿題は〇〇(自分の名前)の為でしょ?どうしてそんなに怒るの?□□(私の呼び名)は〇〇の為に怒ってくれてるってわかってるけどでも、□□も〇〇もいやでしょ、怒ったり怒られたり。〇〇は特別あたまが悪いわけではないよ。なのにどうして毎日怒られているの?〇〇はただ□□と一緒にたのしい日々をすごしたいだけだよ。」

きちんと気持ちを伝えてくれたことがうれしかった。子どもの気持ちが痛いほどわかった。わたしだって一緒に楽しいときを過ごしたいよ。頭が悪いなんて全く思ってないし、そう思っているから言っているんじゃない。ただ今までの経験でわかったこともあるし、やることをやってしまってスッキリして過ごしたいと思ったんだ。でもね、確かに宿題は〇〇のことだし、〇〇にまかせるよ。

というような内容の返事を書いた。そして、その後仲直りして二人であそんだ。転校したてでまだクラスに馴染めていない娘には、こういう時間が必要で、とても大切な充電時間なのだ。学校や、周りに追い立てられるように感じるとき、自分の小さな世界を守ることが、とってもいやしになり、自分を守ってくれることにつながるのだということは、私も痛いほど経験してきた。その小さな世界を守るための、必死な朝の攻防だったんだなと理解できた。

結局、宿題はというと、その夜に音読をやり、たくさんある算数の計算はあしたの朝、早起きしてやることになった。それは全部彼女が決めた。通信教育はやめることになりそうだ。(今までも何度かやめる危機があって、それを何とか乗り越えて続けてきたのだけど、今回はどうなるかな。。。)

「勉強しなさい。」そう言っている私の中にも葛藤がある。

例えば、学校の宿題以外に通信教育までする必要があるのかは、常に迷っている。もともと子どもが付録にひかれて始めたものだし、毎月の分をやり切れるかのところで日々こんなにストレスを抱えてまで続けた方がいいのか。

そもそも勉強をするということ以上に大事なことがあるとも思っている。それは好きなことを見つけるということ。やりたいことをやるということ。自由な時間をたっぷり過ごすこと。それらは、学校へ毎日行くことや必ず宿題を終わらせること以上に大切だと思っている。だって毎日学校へ行くことや、宿題を必ず終わらせることは、言ってしまえば周りに合わせるということでしかないから。そして何より大切なのは、自分自身を発揮して生きることだから。

学ぶことは大事だ。そして自分を知ることも大事。子育ての中ではいつも、自分の言うこと、自分の考え、自分の価値観をつきつけられ、見つめなおすことを迫られる。自分が言ったこのひとことの奥底には、こんな思いがかくれていたんだ。そんな発見がつづくのである。