「火垂るの墓」感想 誰も悪くない

映画感想です。ジブリの名作、「火垂るの墓」。監督は高畑勲さん。「となりのトトロ」と同時公開です(ギャップありすぎて不安になる)。個人的には、ジブリだと、宮崎駿さんの作品より、高畑勲さんの作品が好きです。高畑勲さんの作品はどこかリアリティーがある感じがいいんですよね。非現実の中の現実。火垂るの墓も、非現実の中の現実といえる作品なのではないでしょうか。

悪いのはおばさんか清太か。

火垂るの墓の感想を見ていると、おばさん嫌味、最悪。派の人と、清太君が節子死なせたんや。派の人がいますね。

確かにおばさん酷いですよね。あからさまに清太と節子に冷たくして、「あんたのとこと食事別にしようや。」とか結構キツイ。一応見ず知らずの子供じゃなくて親戚預かってるんだから面倒見てやろうよ。と思ったりもします。

一方、清太君もちょっと現実を見ない行動が多い気もします。清太君は多分自分の役割を「母親を亡くした小さな妹をしつける係」だと勝手に認識していたのではないでしょうか。でも、彼が本来取るべき行動は、「世話になってるおばさん達に気に入られる事」だったんですね。当時は、親が出兵して身寄りがない子供も多かった訳ですし、節子の歳で孤児になった子は沢山いたんです。でも、大人はそんな子供達をいちいち気にかけてあげる余裕はない。小さな子でも自分のできることをして戦争に耐えるべきだ、と考えていたんですね。だから、おばさんから見て節子の子守りなんて係は要らないんですよ。で、そんな無駄なことに時間かけてる清太にムカつくのも当然なんですね。私も、預かってあげてる親戚の子がお世話になってるのに皿も洗わない、食事も用意しない、自分家で妹と楽しそうにキャッキャッしているのを見たら戦時中じゃなくても常識ないのかな?とムッとします。「何で親戚とは言え、こいつらの面倒見なきゃいけないの!?」と怒る気持ちは分かります。

まあ、悪いのは戦争です。清太くん14歳です。風当たり厳しすぎます。おばさんも可哀想です。自分ちのことで精一杯なのに、よその子預かるのは結構大変です。問題は、戦時中という時代です。時代が悪い。

「火垂るの墓」は非現実の中の現実の話

「火垂るの墓」は、実際にあった戦争がテーマですし、お母さんの死体とかおばさんの嫌味ったらしさとか妙にリアリティーあるから、私たちは感情移入しやすいんです。けど、忘れてはいけないのは、あくまでこれは非現実の話という事です。

まず、清太君は映画の話でなければ、絶対こんな事しないでしょう。多分、現実でしたら、おばさんの元で一生懸命働いて終わりです。間違っても節子ちゃんと二人暮らしするなんて事はしないでしょう。元となった原作小説ではお母さんもご存命ですし、おばさんもこんなに意地悪ではありません。あくまでこれは映画ですし、多少の脚色や盛った設定は勿論あるでしょう。テーマは、「14歳と4歳で生きようと思った。」ですから、単に戦争映画かと言われても疑問な気がします。このテーマの元に、戦争という時代を付け足した結果、こういう作品になったのではないか、と思います。

非現実の中の現実

最初に言った通り、私が高畑勲さんの作品が好きなのは、非現実という映画の設定をいかに現実っぽく伝えているか、という点です。清太の取った行動は現実ではあり得ない映画での行動です。ですが、盗みを働いたり、泥団子食べたり、最終的には2人とも死ぬという現実の過酷さ、悲しさを突きつける展開で、それが本当っぽく見えてしまうマジックがあります。これが、宮崎駿さんでしたら全然違うエンドだったのではないかな〜と思ってしまいます。宮崎駿さんは主人公のひたむきさや真っ直ぐさを得意としていらっしゃるので、例えば清太と節子は2人立ちするけど、2人で暮らすという夢を抱いて、そこで廃材を使って自分たちの家を建てて辛い戦争を生き抜く、という展開になりそうな気もします(あくまで空想ですが)。何なら、その家は居心地の良い素敵なこだわりの家になっちゃいそうです。センスの良い家具作っちゃったりしてね。けど、高畑勲監督の「火垂るの墓」では、救いもないし、清太も明確な目標とかないんですね。とにかく節子が笑ってればいいや、生きてさえいればいいや、今日は今日だ。みたいな。その非現実みのあるその場しのぎな対応はある意味一番リアリティーな感情だったりするんですよね。そこがよく書かれていると思いました。

とにかく、高畑勲監督は凄いです。

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