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受け身でいたい、お年頃。

2024年5月16日

朝、学校の最寄駅で降りて一人で歩いて学校へ向かう。

電車では同じ方面へと向かっていたはずなのに、
改札を出た途端、それぞれの目的地へ向かってチリジリになる瞬間、少し寂しくなる。

同じ方向に向かっているのは、私と同じ学校へ通う人たち。
教室に入れば、学習活動で同じ班になれば、必要に迫られれば、話す人たち。
「おはよう」と言ったら、一緒のペースで歩いて、学校に向かわなくてはならない気がする。
それは嫌ではないけど、朝一番に人と会話する脳も元気も持ち合わせていない。
よって、知っている顔の後ろをトボトボ歩くのが日課。

“頼むから、もうちょっと早く歩いてくれ“
“キョロキョロするな、まっすぐ歩いてくれ“
“振り向くなよ〜“

「おはよっ」
今日の朝、後ろからポンッと肩を叩かれた。

“ん?私には、朝から声を掛けてくれる友達なんかいないぞ?“

グッとギアを上げて、「おはよ〜」と言いながら振り向くと、
最近よく話すミオちゃんだった。


“なんだ。ミオちゃんね、よかったぁ“
少し安心して、急激に上げたギアを少し緩めた。

ミオちゃんと話す時は、こちらが話そうと頑張らなくていい。
彼女が言うことに、ポンッと返すだけで会話が成り立つ。
素直なミオちゃんは私が変なことを言ったら、ユーモアを交えて教えてくれる。
この素直さとこちらに気を使ってこない感じが、心地よい。

ミオちゃんは、今日の朝のエレベーターでの話をしてくれた。
楽しく喋ったのは覚えているが、なんせ朝イチのアタマ。
何も覚えてない。

こんなふうに楽しく学校まで歩けるなら、私も誰かに話しかけてみようかな。
と思ったが、すぐに“イヤ、私には無理だ“となってしまった。

私は、人に話しかける時、余計なことを考えすぎてしまうのだ。
気遣いのレベルに収まってないと思う。

“私と何話そうと思われながら会話するのもなぁ“
“うわ、沈黙続いちゃってる、気まずい!“
“話しかけられたくなかったかな“
“やばい、質問攻めしちゃってる“
“そもそも、そんなに話すことないや“

話しかける側の負担を考えている自分と、話しかけてしまった責任を負うのが怖い自分が、いつも「話しかける」という行動を抑制する。
そもそも自分から話したいと思う時なんて存在しない。
ここにハードルがある気もするが、やっぱり自分から話しかけたからには、相手に嫌な気分になってほしくないと思ってしまう。
話しかけられる側の負担を知っているからこそ、「話しかけない」という行動をとっていた。
でも、今朝ミオちゃんに話しかけられた時、悪い気はしなかった。
むしろ、少し嬉しかったし、良い1日のスタートとなった。
次は誰かに話しかけてみようかな。

イヤ、ムリだな。

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