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個性:「個人の性格や性質などの特性」

 就職活動をしている友人に自分にはどんな個性があると思うかを聞かれた。就職活動での強みにするらしい。日本の社会は不条理だ。就職活動では個性を聞いて個人を簡単に判断しようとする。その割には、学校や会社では個性を嫌い、社会にそぐわない個性を認めようとはしないからだ。よく学校は個性を伸ばす教育を行いますなどと言う。その割には大して意味もない校則を作り生徒を縛ろうとする。ブラック校則はその最たる例である。下着の色、髪の毛の指定、こんなものにはなんの意味も無く、ただ教師達が生徒の統制を簡単に行うためだけにあるものである。学生は本来の自分を押し込み、個性というものを無くしていくのだ。

つまり就職活動で聞かれる個性は個性ではなく、社会の道徳という檻の中の虚性でしかないのだ。その結果私の友人は就職活動を行う際に、企業に好印象で人とは違う虚性を見つけようと必死になっている。

 そもそも個性なんて言うのは本来、一言二言で表せるものではない。異なる環境、人間関係、考えの中で形成された人間はこの世界で唯一無二の存在なのである。それぞれの人生にそれぞれの色や音がある。これを語るにはその人の人生を知り、共に時間を過ごすことで理解できるものだ。それを企業は自分たちに都合の良いように学生に話させて理解したつもりでいる。そんなことで人が理解できれば、戦争は起きないし、就職におけるミスマッチなど起きるはずもない。

 それでも簡単に人に個性を聞く人はいるだろう。そんな時決して特別なことを言わなくて良い。生まれた瞬間から今日まで育て上げてきたものを人に説明するためにごまかす必要はないのだ。逆にその質問をしてきた相手に個性を聞き返してみると良い。恐らく相手は薄っぺらい虚性を得意げに話してくるだろう。自分の人生を生きていた人ならば、その程度の相手に自分を判断される筋合いはないと思えるだろう。

 友人にはこの話をしていない。彼は今自分で必死に自分の個性を探している。その中でどのような答えがでるかは分からないが、その答えを彼自身が出す前に私が口を出してしまうと、それこそ彼の個性が埋もれることになる気がするからだ。

 この文章を読んでくれた人に私の考えをどう思われても構わない。それも個性だし、私はそれを否定しない。ただ自分が心の中に形成してきたものを無くさないように大切に持っていてもらいたい。

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