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エビデンスとの付き合い方

エビデンスとは

 今回のテーマは「エビデンス」。最近はこの言葉も日常に浸透してきたように感じます。エビデンスを日本語に訳すと証拠や根拠となります。意見を主張する際にも、経験や勘ではなく根拠が求められるようになってきたということです。

 バレーボールのデータを扱うにあたっても、用意したデータがエビデンスとなり得るかという問題は、データを扱う上で避けて通ることのできないテーマです。

 そこで今回はエビデンスと付き合うにあたって注意すべき以下の3点について解説しておきたいと思います。

・エビデンス=真実ではない
・エビデンスにもピンキリがある
・エビデンスは書き換わる

 ごく初歩的な前提を共有しようという目的なので、厳密な内容については専門書を参照してください。

エビデンスと真実

 まず、大前提としてエビデンスとは真理や真実を表すものではありません。エビデンスが意味するのは『今のところ最も確からしい』根拠です。

 そもそも、データを用いて100%正しい真理や真実を証明することはできません。私たちができるのは、データの精度を高めることで、データが誤っているリスクを抑えることです。

 エビデンスと付き合うにあたり、まずはこの前提を理解しておくことが大切です。

 「これがエビデンスだ」といわれると、なんだか非常に信用できる情報であると感じてしまうのが人情ですが、言葉のインパクトに押されて飛びついてしまうと、手痛いしっぺ返しをもらう恐れがあります。

エビデンスには段階がある

 2点目はエビデンスにもピンキリがあるという話です。例えば、以下のリンクは国立がん研究センターには、エビデンスのレベルが示してあります。

 医療関係者向けのサイトなので、専門用語も多く難しいと思います。大切なのはエビデンスにも段階があり、高いレベルのエビデンスに到達することで、ようやく使えるようになるという点です。低いレベルのエビデンスは、それが誤っている可能性を捨てきれず、適用を推奨することができません。

 バレーボールにおいても同じことがいえます。誤ったデータを勧めてしまうようなリスクを避けるためには、高レベルのエビデンスが求められます。

 ただし、医学と比較すればバレーボールは研究の歴史も人員も足りておらず、例に挙げたエビデンスのレベルをそのまま適用することは現実的ではないと思います。

 そこで現状を踏まえてバレーボール向けにエビデンスのレベルを設定すると大体以下のような感じになるのではないかと考えています。あくまで試案です。

1.複数の分析者によるデータ分析結果の一致
2.単独のデータ分析
3.事例報告
4.データに基づかない専門家個人の意見

 最低レベルのエビデンスは、データを伴わない専門家の意見になります。専門家の経験と洞察に基づく意見には、データはなくとも一聴の価値があるということです。

 次いで、少数の事例を集めた事例報告になり。そこから扱うデータを増やし分析方法も吟味されたデータ分析とレベルは上がります。そして、1人の分析者のデータ分析の結果だけではなく、複数人が同じテーマを分析して結果が一致したというところまできて、現段階では最高レベルのエビデンスにあたると考えます。

 ただし、バレーボールにおいて、現状で最高レベルの確認が取れたエビデンスがというと、ほとんど無いと思います。まだまだデータを積み重ねている段階で、厳密にエビデンスが適用されるようになるのはもう少し先になるのではないでしょうか。

エビデンスは書き換わる

 ある程度の年齢の人であれば、昔は競技中に水を飲むなと言っていたものが、いつからか給水の重要性が強調されるようになったことを体験されていると思います。

 このように、バレーボールにおいても新たに高いレベルのエビデンスが確認されれば、これまで常識と考えていたようなこともひっくり返ってしまう可能性も0ではありません。

 エビデンスがコロコロ変わってしまっては困るというのが正直な感情かと思います。しかし、他の人やチームに先駆けて新しいエビデンスを得て利用することができるようになれば、それは大きな利益を得ることにつながります。勝負事とは相手を出し抜くことでもありますので、新しいエビデンスのためにアンテナを張り巡らせておいたほうが得策です。

 データを分析する側の人間としては、エビデンスは書き換わるもの、必要に応じで自分が書き換えるもの(他の人との分析結果の一致を待つ必要はありますが)くらいの気概があったほうが良いでしょう。

 そして、一度書き換わってしまえば過去のエビデンスは無用のものとなります。しかし、スポーツではトレンドが一周回って戻ってくるということがあります。そのため、現在は無用のように見えても、将来的に価値が出てくる可能性もあります。

 また、新しいエビデンスは古いエビデンスの上に積み重なってできたものです。たとえ無価値になった古い情報も、それなくしては現在のエビデンスは存在しないわけです。こうした経緯も踏まえて、古いエビデンスにも一定の敬意を持っておくことも、データを扱う上では大切なことになります。

おわりに

 「エビデンス」という横文字のインパクトが先行して、少々言葉が躍って使われている感もありましたので一筆したためてみました。現実とは地道なものです。「エビデンス」という言葉に飛びつくのではなく、「そのデータはエビデンスといえますか?」と一歩引いて構えるくらいが正しい付き合い方だと思います。この見極めはなかなか難しいものがありますが、よく議論することが大切です。

 今回はここまで。次回は来月の7日と8日に開催されるバレーボール学会で発表する内容の予告をしてみたいと思います。

タイトル画像:いらすとや

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