アイデア論
普段はデータを分析してその結果を載せていますが、そういえばノウハウを書き残しておくこともここの目的のひとつということを思い出しました。
今回はアイデアに関するノウハウを書き記しておきたいと思います。
データは食材、分析は調理
自分はデータを食材のようなものと考えています。食材というものは様々で、生でそのまま食べてもおいしいものもたくさんあります。一方で、お米のように生では食べることはできませんが、調理することで食べることができるようになる食材もあります。食材がデータにあたるのに対し、この調理は“分析”に相当すると考えます。
測定された時点では特に意味があるようには見えないデータも、分析することで意味を見出すことができるようになるデータもあるということです。分析に必要なPCや統計ソフト等は調理器具にあたるといえるでしょう。
さて、本題のアイデアですが、これは食材と料理に対し「今日何食べる?」という献立の決定にあたります。食材が大量にあって、色々な調理法の知識があって様々な調理器具があっても、“今日何を食べるか”を決めなければ食事にはありつけません。
同じように、データと分析環境が揃っていても、『どのような分析をするべきか?』が自動的に決まるわけではなく、自分で決める必要があります。ここで必要になるのが、分析の方針を決める“アイデア”になるわけです。
アイデアを構築するには、きちんと論理をくみ上げる必要があるのですが、それに加えてある種の閃きが必要となることもあります。データの収集や分析とはまた異なるスキルといえます。
このアイデアの捕まえ方を案内したいと思います。
アイデアには制約がかかる
アイデアといっても何でもよいわけではありません。環境にもよりますが、いくつか制約がかかってくるので、これをクリアして初めてアイデアは成立します。
まず、第一に手持ちのデータと分析環境の制約を受けます。例えば、測定していないデータを分析することはできません。また、平均値を求めるといった簡単な分析であれば問題ありませんが、より高度な分析を行うには現在の環境では対応できないといったこともあります。
このように、アイデアは現実的に実現可能かどうかという制約を受けますが、せっかく思いついたアイデアが、“現時点”では不可能という理由から、捨ててしまうというのはもったいないです。将来実現可能になる場合もあるためです。そういうアイデアは忘れてはいけないので、ノートにでもメモをとって人目のつかないところで温め、時を待つのが良いかと思います。
別の例では、3/21から日本バレーボール学会が開催されますが、一般的な研究を発表では、”未発表の内容である”という制約がかかります。これは「今まで誰もやったことがなく、且つ価値がある内容であること」という条件が付いているということです。手持ちのデータと分析環境から、この条件をクリアするアイデアが求められるわけです。
こうしたアイデアは分析家や研究者にだけ求められるわけではありません。例えば、アナリストも収集されたデータを決まった集計や分析をするだけではなく、今、チームにとって必要なデータを分析して報告することが求められます。
データを収集すること、分析手法を学ぶこと、それに加えて制約をクリアしたアイデアをひねり出すことで、ようやくデータの分析ができるようになるわけです。
アイデアを産み出すには
データ分析を始めようかという人には、「こういう分析をやってみたい」という人と、「何をやってよいかわからない」という人に分けられると思います。後者は前者を羨ましく感じるかもしれませんが、実は両者にそれほど差はありません。
1回だけ記念にデータを分析するのであれば、確かに前者が有利です。しかし、継続的に分析を続けていくのであれば、自発的に湧いてくる類のアイデアはいずれ枯渇します。遅かれ早かれ、アイデアの捻出に苦労するという壁に当たることになります。
この壁を超えるには訓練によって経験を蓄積することが必要と考えます。
巨人の肩に立て
この経験ですが、机に向かって頭を抱えていても積み上げることはできません。巨人の肩に立ち、批判を受けるという過程が必要であると考えます。
巨人の肩に立つというのは、先人の積み上げた知識を参照しようという意味です。徒手空拳で悩むのではなく、先人が明らかにしていること、行き詰まっていることを把握し共有することでアイデアを産まれてくるということです。
そして、「先人」ですが、これは何もバレーボールに限る必要はありません。例えば、バレーボールでは未解決の問題であっても、他の競技やスポーツという枠組みを超えた他の分野では、似たような問題に直面し既に解決を得ている可能性もあります。身近な先人の力を借りてアイデアに結びつけることができなければ、より広い枠組みで先人の知恵を借りることが良いアイデアに結びつくこともあります。
批判を受ける
もう1つの「批判を受ける」というのは、「こういうのはどうかな?」とアイデアを提案することで、他者からそのアイデアの問題点や修正点を指摘受けることです。アイデアは自分一人の力で生み出すものではないということです。
批判という言葉や行為を嫌がる人もいますが、自分はアイデアを洗練するためには必要なことと考えます。批判を嫌がる人の中には、アイデアと自己の人格を重ねてしまっている人がいるように思います。こういう人は、批判を受けるとそれが人格を否定されたように感じてしまうため、批判を嫌がっているように思います。より良いアイデアを構築するためには、これはあまり良いことではありません。
提案したアイデアがどんなに穴だらけでボロボロであっても、そこから修正して良いものに作り直していけば良いだけの話です。自己とアイデアを同一視して、批判を恐れていてはアイデアと心中するしかなくなる、つまりはアイデアをより良いものに修正していく機会を失うことになります。
そういう意味では、自分のアイデアと人格を切り離すというのも結構大切なことなのかもしれません。
アイデアの捕まえ方
ところで、自分は野球のデータ分析もやっているのですが、「何か良いアイデアは無いかという視点から野球中継を見たりしていますか?」と聞かれたことがあります。
しかし、実際はそんなことはなく、自分が野球を見るときはもっとボーっと見ています。なんならプロ野球はビール片手に観戦するもの(高校野球は麦茶)くらいに思っています。アイデアというものは、そんなに力を入れて目を血走らせていても湧いてはこないからです。
幸田露伴は著書「努力論」で、努力を“準備の努力”と“直接の努力”の2つをあげています。準備の努力とは、今回でいう先人の積み上げた知識を理解することにあたると考えます。この準備の努力の蓄積が十分な時に、「何か良いアイデアはないか?」と直接の努力をすることでようやく産まれてくるものと考えます。
そして、この直接の努力ですが、机で頭を抱えたり、TVに噛り付くような方法ではなかなか上手く行かないと経験的に感じています。自分にアイデアが湧いてくるのは、お風呂に入っていたり、散歩していたり、車を運転していたりと、どちらかというとリラックスしているときが多いです。
世の中には哲学の道というものがあったりしますが、こういうものが存在するということは、おそらく古今東西様々な研究者の皆さんもブラブラと歩いているときに良いアイデアが浮かんでくるという体験をしているからではないでしょうか。
夜遅くまで悩むくらいなら早く寝たほうがマシということですね。
自分としては、いつアイデアが湧いてくるのか不明で、良いアイデアを思いついても、すぐに忘れてしまうことも多いので、アイデアが浮かんだらすぐに書き留めることができるようにしておくことに気を使っています。
このあたりは自分に合ったスタイルを構築していくと良いと思います。
おわりに
アイデアの産み出し方と捕まえ方には正解も定型もありません。そのため経験を積んでいろいろなパターンを身に着けていくしかありません。いくつかパターンを身に着ければ、あとはその組み合わせでいろいろと対処していくことができるようになります。
抽象的な内容で申し訳ないのですが、何かしら参考になれば幸いです。
タイトル画像:いらすとや
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?