2021年NHK終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはあかんのです」を見て感じたこと

 みなさん、こんにちは!とある哲学の研究生です。私の誕生日も無事に迎えることができました。Twitterで祝いのツイートをしてくれたフォロワーのみんな、ありがとうございました😊この時期はやはり終戦のドラマやドキュメンタリーが多いですよね。なので今回の記事では今年の終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはあかんのです」を見た感想を書いていこうと思います!※この記事ではネタバレが含まれます。ご注意ください

 この「しかたなかったと言うてはあかんのです」は2021年8月13日にNHKにて放送されたドラマ番組です。このドラマの概要は次のようになっています。冒頭シーンでは、実験手術の様子が描かれている。そして時は戦後になり、主人公Tは実験手術に加担したとして死刑判決がくだされ、投獄された。主人公Tは二人部屋に投獄され、先にいたFと過ごすことになる。そんなある日、別の部屋に投獄された囚人Oが主人公Tと相方のFのもとにやって来る。これがTとOとの出会いだ。数日後、またOがTのもとへやって来る。そしてOがTに意味深な発言をする。「何もしなかった罪ということもあるんじゃないだろうか・・・」と。このOの意味深な発言により、Tは「何もしなかった罪」にひどく悩まされることになったのである。そしてOは死刑が執行され、Tは減刑されました。その後Tは自身の医院を開業するという場面でこのドラマは終わる。以上が「しかたなかったと言うてはあかんのです」の要約です!

 次に私の道徳哲学的な考察をしてみたいと思います。この道徳哲学的考察を行うにあたって、ある概念の解説をします。それは、「凡庸な悪(Banality of evil)」という概念です。この「凡庸な悪」は政治理論家・公共哲学者のハンナ・アーレントによって提唱された概念です。彼女は元ナチスの幹部であったアドルフ・アイヒマンという人物のイェルサレムで開かれた裁判を傍聴し、その傍聴記録の「イェルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告(Eichmann in Jerusalem: A report on the Banality of evil)」を書きあげました。この「凡庸な悪」という概念こそがこのドラマのキーワードになると思うんですよね。

 では「凡庸な悪」という概念について解説していきますね。「凡庸な悪」とは、動機のある悪ではなく、普通の人が思考することをしなくなった結果、善悪判断を下せず、上の者の命令などに追従し、行われる陳腐な悪なんですね。ではこのドラマと「凡庸な悪」はどんな関係にあるか説明しますね。「凡庸な悪」をこのドラマに出てくる「何もしなかった罪」と言い換えることができるでしょう。ドラマの「何もしなかった罪」=「教授の命令に従い、人体実験を止めなかった罪」だと思うんですよね。そして、「何もしなかった罪」と「凡庸な悪」はどのように関わるかというと、次のように解釈できると思うんですよね。もし主人公が主体的に善悪判断を下し、教授の命令に反して人体実験を辞めさせることができたのなら、彼は獄中で「何もしなかった罪」に大いに苛まれることはなかっただろうと思うんですよね。もちろん主人公は良心と義務に板挟みされていて、ひどく葛藤するシーンもあるので、主人公は完全に「凡庸な悪」を犯したと言いきれないとも思います。

最後に終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはあかんのです」を見て感じたことを書こうと思います!「もし私が主人公の立場だったら、人体実験を止めることができたのだろうか。立場を言い訳に凡庸な悪に加担していたのではないか。このドラマは視聴者に改めて『凡庸な悪』の重大さを気付かせるのではないか」と私は思いました。近代社会に生まれた全ての人は不可避的に「凡庸な悪」に直面せざるを得ないのではないかと「しかたなかったと言うてはあかんのです」を通じて思いました。ちなみにドラマの最後のシーンはよかったですねぇ。

いやぁ~、ドラマの要約って難しいですね(-_-;)要約は初めてなので読みずらかったかもしれません。読みずらかったら、すいませんm(-_-)m。それでも最後まで読んでいただき、ありがとうございます!それではまた次の記事でお会いしましょう!コメントや感想もお待ちしています!

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