ひとり戯言。
数ヵ月ぶりの投稿。
というのも、持病のアトピーが悪化してしまい、何もできなくなってしまったから。
私のアトピーは、おそらく寛解状態にあって、普通の人より乾燥・敏感肌であるという感じ。
ただ、数年に一回、悪化する。
まあそんな感じで、「年をとったらアトピーは治る」なんて聞いたけど、それはいつのことなのだろうと、疑問に思う。
本当に。
悪化すると普通の生活なんてできないし、仕事や勉強なんて何もできない。普通に生きることができない。
まあ、ここで恨みつらみをツラツラと書き連ねても仕方がない。
でも、ちょうど二か月くらい前かな、久々に嗚咽を漏らして泣いた。
この年にもなって、そんなに泣くことなんてないし、そんな風に泣くとは自分でも思ってなかった。
思えば、色んなものが溜まっていたんだと思う。
やりたいこと、したいこと、何もできない自分。病気を治す方法なんて分からない。せめて普通においしいご飯を食べて、お風呂に入って、ぐっすり眠りたいのに、それすら許してくれず、執拗に側に居続ける痒み。本当は毎日毎日先の見えない未来に苦しかったのに、恋人の前で明るく振る舞おうとする自分。
そんなこんなで、とある夕方、パートナーが仕事から帰って来た時、私はソファで休んでいた。眠っていたわけではない。痒みと戦った後のしばしの休息だった。私は帰宅した彼に、「何か音楽をかけて」とお願いした。彼が選んだ音楽はラテン調の、うかれるほどではないが、少し陽気なリズムで、ピースフルな歌詞だった。音楽が流れてきてすぐ、多分Aメロあたり、わけもなく涙がこみあげてきた。突然のことだった。自分でも驚いた。何だか陽気でピースフルな世界と私の世界のコントラストがくっきりとしていて、泣けたのかもしれない。何でもいいから私の心が泣きたくて仕方なくって、タイミングを探していたのかもしれない。とにかく、何が何だか分からなかった。涙を止めようとしても止まらなかった。私が泣いているのに気がついた彼が音楽を止めた。「ごめん、そういう気分じゃなかったよね」。そう言って、優しいリラクシング系の音楽をかけ、私を強く抱き締めた。もうそうなると止まらないどころか、嗚咽までこみ上げてきた。少し気恥ずかしさを覚えて、涙を止めようとする私に、「let it out, let it out.(堪えないで、泣いていいんだよ)」と言いながら、彼がより強く抱き締めてきて、もう涙も嗚咽も留まることを知らずに、ただただ体の内側から漏れ溢れて止まらなかった。
結局自分でも何が言いたいのか、書きたいのか分からない。
ただ、苦しかった心とかをどこかに残したかったのかとも思う。
こんな風に泣くことそうそうないから、後になって思い返しても、やっぱり相当辛かったんだな、と分かる。
今は回復期にあって、色々と普通の生活に戻りつつある。
アトピーが悪化する度に思う。
「このことが私に教えようとしてくれることはなにか」
「どんな時もどんなことにも感謝しよう」
そんな考えはキレイごとだって。
本音はこう、
「そんなやり方で教えようとしてくれなくていい」
「こんなに辛いのに感謝なんてしてられるか」。
昔はそう思ってしまう自分を責めたけど、今は違う。
別に無理してかっこつけなくていい。もちろん、ずっとイライラした気持ちを抱えるのは自分のためにならないけど、無理矢理つけた仮面は本当の自分をより苦しめて傷つけるだけだから。
いっぱい悪態ついて、いつかそれに疲れたら違う考えをもてばいいかなって。誰かを傷つけるような思いでさえなければそれでいい。
今回のことをとおして少し今までと変わった気持ちがある。
今までの私は、「アトピーは治らない。一生付き合っていくもの。寛解状態を目標とする」と思っていた。世間ではそう言われているし、体質みたいなもんで、自分でコントロールできないことは諦めるしかないと思っていた。
でも、「アトピーはもう私の人生にはいらない。もう十分苦しんだし、色んな経験もたくさんして、自分の生活や健康に気を付けるようになった。だから、アトピーのない人生を生きる。アトピーがなくても、私はもう大丈夫」。何だかそう思えるようになった。
私はそうやって生きていきたいし、そう生きる。
私がそう決めた。
ひとり戯言でした。
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