子どもが嫌いな子どもだった

私は25歳で子どもを授かり、26歳の手前で子どもを産んだ。いわゆるできちゃった婚で今に至る。いつかは子どもを授かって、子育てをしてという未来は描いていたが、正直あまりにも早かった。

20代半ばの私は社会人生活にも慣れてきて、高いお給料ではなかったけど自分の好きなように使えて、大好きなお酒を飲む金曜日が待ち遠しく、そんな日々が心地よかった。

子どもが授かってから、当たり前のように今までしてきたことはできなくなった。お酒もタバコもやめた。お腹の中に授かった赤ちゃんは尊かったが、きっと周りでも妊娠している友人がちらほら出てきたから「波に遅れずに乗れた」という気持ちもあったのだと思う。

私はこれまでの人生であまりにも小さい子どもと関わる瞬間を疎かにしてきた。小さい子より大人が好き。年下よりも年上が好き。そんな性格だった。

ずっと私は「子どもが嫌いな子ども」だった。

SNSで見るマタニティライフを楽しむママたちが眩しかった。真似をしてジェラピケの母子手帳ケースを買ったり、お腹の写真を撮ったりして楽しんだ。「私もママになる!」そんな気持ちを10ヶ月もの間、大事に育てた。だけど、生まれるまで「私に母性はうまれるのか」という自問自答に答えはです何度も繰り返していたのが本音だ。

生まれてずっと続く夜泣きになんて耐えられるわけがない
スーパーでひっくり返る小さな子どもを何で泣き止ませることができないの?
子どもの行動の言動も理解し難い
食事をするだけで1時間以上も付き合う時間がもったいない
鼻水も排泄物も汚くて手をつけたくない
きっとイライラして手をあげてしまう

言葉にするとトゲがある暴力のように聞こえるけど、心で何回も思いグルグルしていたのが正直な話。

やっと、やっとだけど、昔の自分が思っていたこと全てに自分で教えてあげられるようになった。


私の出産は破水をしてから丸1日以上かかった。これまでに無い痛みでもう経験したく無い、地獄だった。だけど出産しているとき、「お腹の中の赤ちゃんも頑張っているんだから、頑張ろう」と素直に思えた。

生まれた後に我が子を抱きしめたとき小さくて可愛くて。と同時に、これまでに無いくらい責任の重さを感じた。涙が出た。「この子を生かすも殺すも私次第だ。」

赤ちゃんがいる生活は想像以上に大変で、愛しくて可愛いだけじゃ済まないのが現実だった。上手くいかなくて何度も泣いた。やり場のないイライラを発散する方法もわからず苦しかったときもあった。生産性の無い時間にも思えるほど、毎日同じことを繰り返す日々。社会から接点がなくなるようにも感じて早く外に出たいと思う日もあった。

現在2歳6ヶ月。「絵本を読むと良い」とネットで見て、0歳のときに何度も読んでいた本。「読んであげたい」より「読まなくてはならない」と義務のように読んでいたあの頃。毎晩読んでと強いられる大変さはあるが、絵本の真似をしたりケラケラ笑う声が愛しい。毎日一緒にいて、1秒も成長を逃さないように見守っていると思っていたが、私が思うよりも子どもは日々かけ足で大きくなっていってしまっている。

子育てをしているとびっくりするくらい視野が狭くなる時がある。正解か不正解かわからなくて悩む時がある。イライラしたり悩んだり、子育て向いてないかもと思った時にはもう母性が生まれているということだと気が付いた。

母になったからって急に完璧なお母さんにはなれない。子どもが初めていろんなことを学んでいくことと同じように、お母さんにとっても子育ては初めてのことばかりだから。

ただ、これからは「子どもが嫌いな子ども」な私。では無くて、「子どもが好きな子ども」な私。と胸を張って言いたい。言えるだけの愛だけはここにある。

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