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進撃の巨人最終回139について

#進撃の巨人 #ネタバレ



最終回に絶賛しかない方には水を差す内容かもしれません
Twitterで投稿した所感を振り返り、日を置き、様々な意見を見聞きしたうえで、自分の感想を改めて書く

まず、絶賛だけが感想ではないと主張します

愛すること=肯定がすべてではない
それは作中でミカサがエレンにした行動と通じます

異を唱えることと、悪質な動機によるヘイトとは完全に異なるものです

誤解されたくない
ですからこれはヘイトではないことを強調します

私はファンですし、ファンアートも描きます
今後も情報には注目し、何かと気にかけることでしょう

そのうえで複数の異を唱える

最終回を読んだ後、あるいは読み進めている中、違和感が生じました
実は少し前からそれを感じていましたが、ファンなので、やはり肯定的に見ようとする気持ちが強く、前向きなフォローを入れる自分も即座に現れます

以下、私の経験値?または理解力?が不足していたのか?
特に難しかった展開です


始祖ユミルの解放はミカサの選択が鍵…唐突で理解が追いつかない
(でもフィクションだし、世の中説明のつかないことは沢山ある)

なぜ8割の世界を壊す?という問いに対し、父の「お前は自由だ」という言葉を回想しながら「わからないがどうしてもやりたかった」と言うエレン
(何度か読み返した後に意図を察したが、初見は、そうかーという思いだった)

記憶が戻った104期らのエレンに対する大げさな感謝が気色悪い
(ギャグシーンなのかもしれない…またはヤケクソの気持ち)


始祖ユミルの開放はミカサの選択が鍵…という謎については、彼女が欲した愛の形をミカサが可視化したから、といった見解を見て、なるほどと、やや腑に落ちた

愛は複雑で、現実世界でも愛を起因とする事件や事柄はいくらでも存在し、説明しきれない
しかし、ミカサに目をつけたのはなぜだろう

結果的に正解?だったわけだが、漫画という媒体でミカサに関する様々な謎を匂わせられたので、目をつけられた根拠についてつい考えてしまった
手首の刺青や頭痛など
結局、それらの謎も含めて、解けない謎もある、というリアリティを表現したのだろうと落とし所を見つける


8割の世界を壊したこと…については最も異論を目にしました
その多くはジェノサイドに対する嫌悪感です

でも漫画だし、知らない人達や世界だしそんな怒らんでも…そう、それも同感です
これについて、直後ツイートでは、「"これしかなかった"と思わせる説得力がほしかった」と書いた
あー、"理由はないがやりたいこと"に説得力を求めるのはナンセンスだった

食べたいから食べる、眠いから眠る、好きだから好き

それと同じで、欲求に理由を求めるのは野暮だ

頭がコチコチになりかけてしまったもんだと自嘲した

とはいえ違和感は拭えない
きっと、食べることや眠ることと同列に、
無差別大虐殺を「やりたかったから」という理由で巻き込まれたら、

嫌だなぁ~、ということなのかもしれない

怒りは感じない

漫画だし
でも、すばらしい結末!という言葉は浮かばなかった

私が特別倫理観の強い人間というわけではない
これも時々吐露してしまう恥ずべき思想なのかもしれないが、医療や労働力の為にヒトクローンを実行してもいいと考えているし、
「今ある命は大事に穏やかに、今ある命の負担になる可能性は極力増やさない」といった反出生思想を持つ

ある程度の自意識や社会生活に馴染んだ生命体に重きを感じている
ええー例えるならば、身篭った女性がいたとして、出産に際して母体と胎児どちらかのみ助けるという選択を迫られれば、女性を選ぶ
胎児に人権や意思がないとは言わない
でも生まれたとして一人で生きることが困難な状態だから、コストを考えればその選択になる
だから、地ならしのシーンで乳児を庇う大人達の描写を見て、コンプレックスを感じた
地ならしについては、漫画の迫力的に必要なシーンだと思ったので発動は必然だったと感じていた

…はずだが、世界の8割を滅ぼした正体が、強がりで内気で自由でいたい、一見普通の青年の理由なき欲望だったことにはショックを受けたようだった

それは自身にも通じるものがあるからだ
いいえ、身勝手な欲望を満たすために他者を傷つけたいとは思わない
でも、思い込んでいるだけかもしれない

普通の青年だからこそ、神の力を得て"頭がめちゃくちゃになってしまった"のか、そもそも殺戮者としての素質があったのか

エレンを憐れむ声も見たが、その感情はない
憎しみもないし嫌いにもなれない
ただ、104期達のように彼を慈しむ気分にはなれない

そう、エレンに対する彼らの大げさな感謝…ギャグシーンとして見てしまったが、シリアスならば滑稽だ

友として絆を受け取ったから、家族が助かるから、奴は律儀で自分を犠牲にして…あぁなんて愛すべきバカ野郎!
といった感傷は、やや白けたものである

あの究極の決戦から解放された高揚感によるものかもしれない
または、まだ歳若いゆえの、特性か

これについてはまだようわからん
とりあえずシュールなギャグシーンと捉えている


最終回変更を希望する署名が発生しているらしい
それは、商業目的ではないが自由に表現したいものがある立場の者としては、恐ろしや…と感じた

しかし、進撃の巨人は超巨大コンテンツです
様々な意見が発生することは必然であり、声を挙げることは読者の自発的欲求で、作品が愛されているという証拠なのだと感心しました


まぁ、数の多さで訴える行為は敬遠してしまうし最終回は変えんでくれと思うが、結果や反応は興味深いです


この投稿は
とても好きになった漫画で、最終回を読む前は楽しみしかなかった
でもかんどうできなかった
それはなぜか?という自己分析で
及び、いわゆる"批判的"な感想について、「適当に読んでたからだろう」「真のファンではない」という声への反論も含みます

作品は教祖で、入信したならば無条件に盲信するのか?

そのような論調には強く抵抗します

いいものはいいと言う
それと同じく、生じた異論も言えることがフェアだと思います

正義を一つに決定することは不毛です

多くの読者がありのままの意見を発言し、取捨選択できる状況は幸運です

言論を蹂躙された不自由な世界は地獄です

これに改めて気づいたこと、世界中の読者が議論を交わし、考えるキッカケになった

何年後かに読み返してみるとまた違う感情がうまれるのかもしれない

ごく自然に、「いつか読み返す」ことを決めている

結局、魅力的な作品なのだ

絶賛と酷評、紙一重

俺は頭がめちゃくちゃになっちまった

めちゃくちゃにしてくれて、ありがとう

今はそんな気持ちです

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