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マーク・マンダース —マーク・マンダースの不在

マーク・マンダース —マーク・マンダースの不在
2021.3.20-6.22
@東京都現代美術館 企画展示室 3F(東京都江東区三好4-1-1)
入場料:1500円
★★★★☆

マーク・マンダース国内美術館としては初の個展だそうだ。
私は金沢21世紀美術館で開催されていた「ミヒャエル・ボレマンス マーク・マンダース|ダブル・サイレンス」展が好評を博していたので、この作家を知った。

東京に巡回してきた!と思ったら、マーク・マンダースの個展へと姿を変えていたのだった(笑)。

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マンダースは、「建物としての自画像」というテーマで30年にわたり一貫して制作しているそうだ。

会場に入ると、既製品の家具や道具と組み合わされた、人間や動物の彫刻がたくさん現れる。

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この作品はとても張りつめた緊張感があった。

この作品の奥に見えている、半透明のビニールで覆われた空間はまさに芸術家のアトリエに迷い込んだ感覚になる。

床は砂のようなものでさらさら(に感じる)だし、何より像自体が未完成のような風合いだ。

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アトリエにお邪魔しているようなのに、アトリエの主(=マーク・マンダース)がいない。未完成に見える作品や手あとが残った空間によって、その"不在"がこれ以上ないくらい際立つのだ。

マンダースは、1968年オランダのフォルケル生まれ。現在はベルギーのロンセにスタジオを構えています。1986年、18歳のときに、自伝的な要素を含む小説執筆の試みを契機に得たと言う「建物としての自画像」という構想に沿って、以降30年以上にわたって一貫した制作を続けています。その構想とは、自身が架空の芸術家として名付けた、「マーク・マンダース」という人物の自画像を「建物」の枠組みを用いて構築するというもの。その建物の部屋に置くための彫刻やオブジェを次々と生み出しインスタレーションとして展開することで、作品の配置全体によって人の像を構築するという、きわめて大きな、そしてユニークな枠組みをもつ世界を展開しています。この虚構的な枠組みをベースとして類のないビジョンを示す独創的な作品世界は、彫刻の概念を掘り下げる個々の作品の質とあいまって、世界的に高い評価を受けてきました。本展は、作家本人の構想により、展示の全体を一つの作品=想像の建物のインスタレ―ションとして構成するものです。(—展覧会HPより)

上記の説明文は展覧会を見る前にはまったく意味が分からなかったが、見終わってしばらく経ち、同じ体験をした人と話しているうちにだんだんと腑に落ちた。


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プロダクトデザイナーの深澤直人氏が、「デザインの輪郭」という文章のなかで語っていることと少し関連があると思う。

氏は、デザインをなす要素をジグソーパズルの途中でできた何かしらのピースが入るべき穴の外側の部分に例える。

(前略)・・・もし、デザイナーがその穴やそれをかたちどる周りの要因を見ずに、「自分のかたちをつくりたい」とか、「デザインらしく」とかいう意思によって、一つのピースの輪郭を描いたとしたら、そのピースは、要因がかたちどった必然の穴にぴったりとはまらないかもしれない。ほとんどの人々はその穴の存在をなんとなく感じている。だからそこにはまるものが登場したときに、「はまってる」という表現をするのだ。・・・(後略)
—『NAOTO FUKASAWA』(ファイドン株式会社、2014年)より

つまりつくるものの周辺が、ものの輪郭をだんだんと形づくるということ。


またこのマーク・マンダース展を見たあとで訪れた東京都美術館のイサム・ノグチ展図録に掲載されていた、建築家・磯崎新の文章にも、似たような記述がありつながった。

イサム・ノグチは晩年、「自然石と向き合っていると、石が話をはじめるのですよ。その声が聞こえたら、ちょっとだけ手助けをしてあげるんです。近頃は、彫ったり磨いたりする量が少なくてすむようになりましたね」と語ったという。

 石の声をはじめに聞く。簡単なことに思えるけれど、そのとき自己の内部を無にしておかねばならない。これは世界が転換するほどの解脱ではじめて到達できる。
 「立石は乞わんに従う」という『作庭記』(12世紀)の一節がある。庭石はそれが乞い願うような姿に立ててやれ、という作庭の極意である。外形や型の組み合わせを超えた石という自然の意志が見いだされることが究極の目標なのである。
『挽歌集—建築があった時代へ』(白水社、2014年)所収

この作庭における石の置き方の極意では、石の意志に気づくことを説いているが、深澤直人氏ふうに解釈するとつまりそれは石以外がつくる、石の輪郭を見出すことなのだろう。


このように、何かを表現することはネガ・ポジの両側面から見ることで、研ぎ澄まされたものになっていくということなのかもしれない。

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展覧会URL


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