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ミュージアムする!

ライフミュージアムネットワークの県外事例調査(三重県伊賀市/蜜ノ木)のレポートとして書いたもの。『ライフミュージアムネットワーク2020活動記録集』(2021年、216-217頁)収録。写真追加。

ライフミュージアムネットワークでは「ミュージアムに何ができるのか?」という問いを常に考えてきたように思います。ミュージアム「で」何ができるか? 本事業を主導する福島県立博物館が「施設」をもつ以上は、これもまた切実な問いです。けれども、震災後の福島の経験をひとつの媒介として、各地のミュージアム実践にふれてきたライフミュージアムネットワークは、常にミュージアムの「機能」を議論してきたのだと思います。

ミュージアム実践―― この言葉は、歴史学者の保苅実さんの歴史実践(歴史する=Doing History)という言葉に倣っています(*1)。歴史家が語るものだけが、歴史ではない。複数の歴史実践が「共奏」することが可能なのではないか。そう指摘した保苅さんの言葉を、今回の伊賀リサーチの後に思い起こしていました。それは三重県伊賀市島ヶ原で「蜜ノ木」というグループを立ち上げ、独自に土地の歴史を紡ぐ(受け継ぐ)活動をされている画家の岩名泰岳さんのお話を伺い、まさに「ミュージアムする」ものだと感じたからでした。

「蜜ノ木」は、事前に読んだ資料では以下のように紹介されていました。

三重県伊賀市島ヶ原地区(旧島ヶ原村)に暮らす20 代の若者たち十数名が、2013 年に結成した島ヶ原村村民芸術「蜜の木」を前身とする「蜜ノ木」の活動は、展覧会やイベントの企画のみならず、空き家の再生から地域の寄合や祭礼への参加まで多岐にわたり、いわゆるアート・コレクティブというよりは、旧来の青年団のそれに近い
「消滅した村落を照らす小さな光。副田一穂評 蜜ノ木「くずれる家」展」ウェブ版美術手帖、2018 年12 月3日。

近年の芸術祭やアートプロジェクトの議論を思い浮かべながら、ある土地(地域)を舞台とした芸術活動を行うものと期待しつつ、実際に現地を訪れ、話を伺うなかで「旧来の青年団のそれに近い」という言葉が的確であることを知りました。「蜜ノ木」にとって、島ヶ原という土地は決して芸術活動の「舞台」ではなく、日々の生活を営む場そのものであり、そこから芸術が立ち上がってくるようなものである、と。

なぜ、島ヶ原で「蜜ノ木」を結成したのか?  その問いかけに岩名さんは自らが絵を描いてきた経緯を話してくれました。2004 年に岩名さんが暮らす島ヶ原は伊賀市に合併されました。自らが住む土地(の名前)がなくなってしまう。それを知った岩名さんは、どうすれば島ヶ原の記憶を残すことができるかを考えはじめ、そのなかでシャガールの絵に出会ったそうです。亡命の作家であるシャガールの絵に、ある土地の記憶を残す術としての絵画を見出す。そうして絵を描きはじめた岩名さんは、あるとき地元の電車で具体のメンバーでもあった画家の元永定正さんに出会います。

話をするなかで元永さんが伊賀出身だと知り、それをきっかけに関西のアーティストたちのコミュニティに触れ、絵を描くことを、より深く学んでいったそうです。大学へ進学し、卒業後にはドイツのデュッセルドルフへ留学。「デュッセルドルフは、ヨーゼフ・ボイスがいた街で…… 」。岩名さんは街の説明のなかでボイスのことを語っていました。「すべての人間は芸術家である」という考えを提唱したボイスの話を聞きながら、岩名さんが2011 年の震災後に帰国し、「蜜ノ木」を結成した理由がつながっていくように感じました。そして、ある土地での暮らしの具体的な出会いによって立ち上がる表現のありようを改めて考えさせられました。

思えば1920 年代のパリ、戦後のアメリカなど美術の大きな「流れ」の多くは地名も一緒に語られます。わたしたちは(国や都市と比べれば、一見小さく見える)生活圏のなかで現れてくる表現とその土壌のありように目を凝らす必要があるのかもしれません(たとえば、震災から10 年が経つ東北各地では、どんな表現が立ち上がってきているのだろうか? ついそんなことを考えてしまいます)。

島ヶ原の記憶をどう残していくのか? 岩名さんの問題意識に呼応するように「蜜ノ木」はメンバー自らの表現だけでなく。地域の美術家たちの作品や活動の掘り起こしも行なっていました。岩名さんのアトリエには伊賀の美術動向の年表が掲げられていましたが、「蜜ノ木」にかかわる美術館の学芸員の方が作成したものだと聞きました。

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異なる技術をもった人たちが集まり、土地の歴史をそれぞれの方法で、いろんな人にアクセス可能なかたちに変えていく。施設はないけれど、その活動の総体は、まさにミュージアムの機能を体現したものだともいえます。

「2004 年以降の島ヶ原の年表は更新されていない…… 」。合併とともに閉鎖された島ヶ原の資料館を入口からのぞきながら、岩名さんはそう話をしてくれました。そして、その年表を更新していくような活動が「蜜ノ木」なのだとも。「蜜ノ木」のミュージアム実践とは、島ヶ原に「ミュージアム」がなくなった後に生まれた活動でもありました。

ミュージアムがなくとも、ミュージアム実践は可能なのでしょう。しかし、どっちかなのではなく、どちらも共に土地の記憶を奏であうようなありかたを考えることが、今回のリサーチからの宿題なのだと思っています。

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※1 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』岩波現代文庫、2018 年。


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