水は、どこまでも浸透していく|8/28〜9/3
2024年8月28日(水) 市ヶ谷→中野→府中
台風はさらに遅くなっている。九州にいる時間が長くなりそうで心配。
2024年8月29日(木) 市ヶ谷
途中になっていた「テレビノーク」を最後まで見切る。人が少なくなる世の中だからこそ、ひとりひとりとちゃんと向き合うことが出来るのではないだろうか、という瀬尾さんの慧眼。能登半島のことを考える。こうして日々の記録を祈りのようにやるしかできていない。
2024年8月30日(金) 横浜
大雨は降ったり、止んだり。駅構内にあるリモートワーク用のボックスを使う。ネット回線は弱いし、パソコンが熱くなって、Zoomに接続できない。デバイスに頼るコミュニケーションの脆さは、コロナ禍から変わらない。オンラインミーティングはあたりまえの手段になったけれど、その不自由さもまた共有されたのではないだろうか。だからといって、あの頃のオンラインにかける熱もないから、これ以上にインフラの改善は見込めない。
「30年目の手記」の公開方法を話し合う。手記のタイトルや執筆者名でからではない見せ方のアイディアで出てくる。面白い。手記は本文に個性が現れる。一方でタイトルは似たようなものが多かったり、書き出しは「あの日」からはじまり、教訓めいたことばで終わってしまったりするものも多い。そうではないアクセスの仕方をつくれそうな予感。
リモートの次は対面。災間スタディーズの一環として実施する「おもいしワークショップ」について。流域から地域を見ていくことが話題になる。地域を「水」から考えていくと、頭の中で、だんだんと地面と川が反転してくる。地面の間を川が走っているのではなく、水から地面は顔を出しているに過ぎないとも思えてくる。水は、どこまでも浸透していく。
ここしばらく音楽を聴いていなかった。ワイヤレスヘッドフォンは持ち歩いていたけれど、電池が切れていた。オンラインミーテイングで使うために充電したけれど、Bluetoothの接続がうまくいかなくて、結局、使わなかった。
2024年8月31日(土) 自宅
台風が日本列島に居座っている。「居座る」とは人間目線の言い回しだ(ニュースで見かけた)。列島を離れて、南下した後に、北上し、まっすぐに東海地方から岐阜の方に抜けていく予報。夜になって、大雨。
1ヶ月前に書いたnote記事を読み返す。そう、きっかけは能登半島地震だった。7月に現地訪問をしてから(実際はそれ以前から)やることを考えつつ、なかなか行動が伴っていなかった。「記録」という行為から、現地とかかわりかたをつくるのはどうだろうか。東日本大震災の経験と比較しても、それが必要なのではないだろうか、と。
セーブ・ザ・チルドレンの能登半島地震について、現地の小中高世代へのアンケート調査結果が公表される。
「目をそむけないでほしい。見捨てないでほしい」「じしんのことがニュースにでにくくなっている」といった回答を例に挙げ、「復興の遅れに対する子どもたちの怒りや悲しみが多かった」と総括する。
(「私たち 見捨てないで 被災の子 2000人アンケート」『中日新聞』、2024年8月30日)
2024年9月1日(日) 鶴見→自宅
防災の日。関東大震災から101年。能登半島地震から8ヶ月。これだけ台風が大きいと、能登半島地震の報道は、ほとんど目にしない。いつも能登の情報でお世話になっている、中日新聞も台風中心。このタイミングで一番影響ありそうなエリアに入っているから、しょうがない……のか。
2024年9月2日(月) 市ヶ谷
コロナ禍のオンライン化は、なんだったのだろうかと思う。すべての対面に「戻った」わけではない。ハイブリッドなやりかたは残ったし、求められるようになった。だからとって、オンラインの便利さを享受できるようになったわけでもない。このことをトピックとした議論の場をつくるとしたら、どんなやりかたがあるだろうか、と話をする。
2024年9月3日(火) 阿佐ヶ谷→市ヶ谷
劇場と病院を比較して考えてみる。劇場を親しみやすくするために、参加型のワークショップを行い、みんなが舞台にあがってもらう。でも、病院の敷居を下げるために、致命傷にならない程度に怪我をしてもらう、という話は荒唐無稽なことだ。もちろん、この比較の仕方自体が間違っているような気がする。劇場は病院の比喩では出来ないことが出来るはずなのだから。とはいえ、その施設の「利用」ではなく、「存在」の意義について話が出来るようになるといいのでは、とも思う。地域の薬局、町医者、総合病院、専門医療機関(がんセンターとか)……と並べて考えてみるのはどうだろうか。国立の丸山さんがデザイナーについて語っていたことを思い出しながら、そんなことを考える。
もともと、デザイナーにかかわるのは一部のクライアントだけで、多くの人にとってこの職種が身近な存在ではない、という状況に疑問をもっていました。以前、佐藤可士和さんがデザイナーを医者に例えて、困ったときに駆け込んで相談できるのが医者であり、デザイナーだと言われていました。それは問題解決への窓口という意味で納得したのですが、でも、誰もが気軽に佐藤さんに仕事を頼めるわけではない。だからその言葉をきいたときには、大学病院の医者をイメージしたんですが、僕は小さいときから町医者によく掛かっていたんですね。
(中略)
近所に好きな古い一軒家の病院があって、そこによく掛かりました。処方箋もなくて、おばあちゃんがその場で調剤して、ドロップみたいに甘い薬をくれる病院です。そうした町医者的なデザイナー像もあり得るんじゃないか。みんなが都心に集まるのではなくて、ひとつの町や行政区域に1人ずつデザイナーがいたらおもしろいんじゃないか。
(つづく)
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