見出し画像

ゲームと私と自意識と。

Nintendo Switch Liteを買った。
抽選は、忘れた頃に当たるものである。しかも一番欲しかったイエロー。無欲の勝利という言葉をひしひしと感じた。
10年ぶりのゲーム機購入だ。そして、15年ぶりのどうぶつの森だ!!!

あつ森やりたい曲線の頂点は過ぎていたとはいえ、どうぶつの森はやっぱり楽しい。
毎日足繁く無人島に通い、ベルを集めたり虫や魚を捕まえたり住人を招致する日々を送っている。
ゲーム内でクモやらムカデやらを捕まえる日々を送った結果、現実の我が家に出たハエトリグモを自力で追い払えるようになった。
ゲームと現実の境界が曖昧になる良い事例である。

中学生一人分の時間を経たどうぶつの森は、随分現代化していた。
捕まえた虫や魚を「見せびらかす」ことができるようになっている。そして部屋に置くときも「飾る」のだ。他者に見せる前提の言葉のチョイスに、一億総映え社会…!と少し慄いた。
そしてたぬきちがめっちゃ愛想が良くなっている。店から出る度ににこっと笑ってくれる。
以前のローン支払いの話の時だけニコニコするたぬきちはもういないのだ…。まあ、彼もリゾート開発に着手して、商店経営を弟子たちに引き継げるくらい稼いだのだから心に余裕ができたのだろう。
…と思ったら、住民もまめきちつぶきちも、遊びにきたきぬよさんも皆にこっと笑いかけてくれるようになっていた。
みんな愛想がえらい良くなっている。

はてさて、久々のゲームということで、自分のキャラクターに名付けするという行為も久々にやった。
あまり深く考えず本名にしたときにふと思った。
私、以前は別の名前を付けていたよな…?
以前というのは、10年前、ときめきメモリアル Girl’s side 2ndにずぶずぶハマっていた時のことである。

どうぶつの森の自意識

どうぶつの森は、開けたゲームという認識である。
友人に誘われたことに端を発していることもあり、今後友人の島に遊びにいく等を考えると「現実の私」と地続きになっている感が強いからだ。

一方で、インスタやTwitterに度々アップされる「ももクロ衣装をマイデザインで再現した」服にも強く興味を惹かれた。
間近で見たい!という欲求も、今回の購入の後押しとなったのだ。
作成者の方々のコードから入手したとして、私はそれらを部屋に飾るだけで満足するのだろうか?
いやいや、貰ったら実際に着てみたくなるだろう。では、着てみたら満足するのだろうか?
いやいや、着てみたら実際の知人に見せびらかしたくなるだろう。
…と欲求が次から次へともごもご湧いてくる。
私の中の女装癖おじさんが蠢きだすのだ。
でも同時に、現実の自分と地続きのアバターがアイドル衣装に身を包むことに、躊躇いを感じたりもする。
現実の私は、自分のアバターがしおりんやれにちゃんと同じ衣装を着ることに違和感を感じるのだ。いやいや、キミはそっち側ではなくない?と。

自意識が葛藤している。

ちなみに、自分でマイデザインでライブTシャツ作成も試みてみたが、早々に断念した。
あんなに精緻な衣装を再現できるなんてすごい…。


ときめもGS2の自意識

ときめもを始めた時は、こちらはこちらで深く悩むことなく自分とは別の名前をつけた。
こちらはむしろ、別名にしないと世界観に没入しきれないのである。イケメン達に名前を呼ばれる度に現実に戻って羞恥とかを感じる隙を作りたくないのだ。
また、現実の私はなかなかに守りの体制が強い。
ときめもでは攻めの姿勢をとらなくてはいけないシチュエーションがままある。
そんな時に「自分だったら…」を基準にしていると、進むものも進まなくなるのだ。
実際、初回プレイ時には己のありのままの回答をした結果、誰とも結ばれることなく、隣に住む小学生の遊くんが慰めつつも照れながら将来の約束をしてくれる、というエンディングを迎えてがっくりした。(今思えば遊くんは遊くんで、将来有望な男の子ではあるのだが…)

そんなこんなで、乙女ゲーに関しては「この子ならこうする。」と別人格を立てて進めた方が楽しく、自意識に引っ張られることなく、「正解」のルートに進めることができたのだ。

バンドマンを目指す城好きのハリーに出会えたのも、この進め方のお陰である。
当時、前提をスキップして「ハリーがね…!」と話してしまった際に、友人に突然男性の好みが変わってしまったと思われてすごく喰いつかれたのもいい思い出。ねえ、ハリー。


自意識と葛藤しながら今日も私は島に帰る。

尚、私の島は初期住人がゴリラとウマ、続けてやって来たのがカンガルー。
サバイバルが始まったら最初に淘汰される気しかしない。

この記事が参加している募集

自己紹介をゲームで語る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?