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「受容」「共感」「寄り添う」言葉にするのは簡単だ…

<現在の状況>

現在、私は通所の生活介護支援施設で勤務している。緊急事態宣言を受け私の法人も利用者に向けて自粛を要請している。

 支援の性質上、例の3密が避けられず、感染リスクが高いため利用率を減らすことで感染を防ぎ社会的な機能を維持していくことが自粛の1つの目的である。もし利用者、職員に感染者が出てしまったら持病をもつ方は重篤化する恐れもあり、命の危険もある。またそれにより終息までに長期間の休園を余儀なくされるからだ。

 ましてや、以前千葉県の「北総育成園」での集団感染が起きたこともあり、なおのこと世間の障害者福祉施設に対してのイメージは良いものではなく、今の情勢の中で「あそこの施設は大丈夫だろうか」という目で見られてもおかしくはないだろう。



<自粛のジレンマ>

「自粛」の要請をし、協力してくれている方は初期段階から自粛をしている。それはご家族の協力によるものが大きい。しかし、重度の方は長期間家にいることが困難で「自粛」ということが難しい。だから止む無くリスクを承知で登園している。また、身寄りがなくグループホームで生活している方も日中過ごす場がないので登園せざるを得ない。

 「自粛」というのはあくまでも「休んでください」とこちらから命令をしているわけではない

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AA%E7%B2%9B/

上のように「自分から進んで」とあるが、自分の行動を自分で決めることが難しい方がいる。またそうしたくてもできない方もいるのだ。


こちらとしては自粛をしてもらうことで密を減らしリスクを軽減するという目的で自粛を要請している

実際、要請をしご家族にも協力してもらい利用率は減っている。しかし、重度の自閉症スペクトラム症の方は平日急に休むことが理解できずパニックになったりする。だからご家族の中には、父親が家を出ないと家にいることが難しいので、自粛期間中は平日、父親が自宅待機中にもかかわらず外に出ざるを得ない状況だそうだ

また、ある利用者は休みの日はどうしても出かけたいと言ってきかず、外出し近くの電機屋に行ったりして過ごすそうだ


こうなってくると、結局日中園にいるのと自粛をして外部に触れ合う接点を持たせてしまうのとどちらがリスクが高いだろうか

一概に園を休むことが絶対安心とは言えないと思うのだ


学校も長期の休校が続いているし、保育所も臨時休業をしている。他にもたくさん自粛していて皆我慢しているのだ。それでは、障害を持つ方々は自粛しなくて良いのか?自粛すべきであろうと思う方もいるだろう。


私の娘も公立の保育所に通っていたが、止む無く休ませざるを得ない状況である。その一方で妻は高齢者のデイサービスは通常開所している。

同じ福祉施設なのにとも思ったりする

しかし、社会的なニーズが高いからこそ開所しているのだとも言える

保育所は特例として理由を書き申請すれば、利用はできるがリスクを考え祖父母にしばらく預けることにした。

それはたまたま実家が近くで祖父母とも自粛期間で家にいるから頼めたことである


シングルマザーや近くに頼る人がいない方は、リスクを承知で預ける他ないだろう

3<今だからこそ>

今のこの状況だからこそ「福祉」の社会的な機能とは何かを考えるべきであり、様々な価値観や考え方を自分なりに咀嚼し身を守りながら自分のやるべきことをやれる限りやっていかねばならないと思った。


老若男女問わず、自分の身はもちろん守るべきものを守りたいという気持ちは同じだ

しかし、こう言った厳しい状況になると「自分は我慢をしているのに」とか「なんで私ばかり」と言いたくなってくる

そしてこのやり場のないストレスをどこかに吐き出したくなってくるのだ

「自分のことは棚に上げて」というやつかもしれない


私は重度の自閉の方とずっと生活を一緒にしたことはない

シングルマザーになったこともない

様々な家庭環境があって、その当人しかわからない苦しみや悩みがあるのだ

それを自分の価値観や考え方だけで理解をしようと思っても経験もしていないし「私はあなたじゃないから」と言ってしまえばそれまでである

しかし、福祉に携わる者としてそれではいけないのだと今回の状況で改めて気づいた

4<気づいたこと>

教科書などにはよく「受容」とか「共感」「寄り添う」と書いてあるが、いざこういった状況になるとこういった意識が自分にあるのか試されているような気がしてならない


理由はどうであれ、理不尽であれとにかく困っている人がいるならまずはその困り感に寄り添い共感することが大切だと感じた。


そのためには、やはり自分の心身が健康でなければいけないし心のゆとりがまず必要だと思った。いくら寄り添いたくとも、自分がそれどころじゃない状況であればなかなか難しい。


だからこそ、自分の身を守りこの状況を誰かのせいにしたりするのではなく今自分にできることを精一杯やってくことが必要だと思った。

5<最後に>

今回の「新型コロナ」からの「自粛」によって上記のようなことをたくさん考えることのできる時間ができたことはある意味よかったといえる

今後終息して、当たり前なことを当たり前にできるようになったら「仕事」ってなんだろうとか「家族」ってなんだろうとか身近なことに目を向けることができるようになって社会全体が人に対して優しくなっていくことを願い、私もそういう社会の一員になりたい。





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