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覚悟の覚書

ひと月前。
俺は死んだ。


明け方。
スマホから、スローテンポのおどろおどろしいメロディが流れている。
それは、ミサイル発射を知らせる音なんじゃないかな、とぼんやりとした頭で考えていた。

遠くから、飛行機のような音が近づいてくる。
瞼が重い。
音は、ベッドに横たわる自分の体を、揺さぶるかのように激しさを増していく。

刹那。

爆音、と共に、爆風に煽られていた。
自分の首が裂け、そこから出血しているのがわかる。
痛みの感覚はよくわからない。
頭から血の気が失われていく。
「あ、これ死ぬやつだ。死って本当に突然訪れるんだ」
冷静さとパニックの同居した思考は、素直に現実を受け入れていた。

つんざくような轟音は、ゴオオオオオという重低音に変わっていく。
視界は真っ暗。
繋がっているのかもわからない体が、重力を失ったかのように、
ぐるぐると回転していることだけは感じられた。

一瞬だけ、同じように巻き込まれているだろう家族を思い、訪れることのなかった未来を思う。
薄れゆく意識の中。

気がついたら目を覚ました。

起きると、なぜそんな夢を見たのかわからないほどに部屋は静かだった。
本当に自分はもう死んでいて、今見ている現実こそが幻ではないかと疑うほどに。

あまりにもリアルな死。
だから俺は、生きているけど死んでいると思った。


社会人になりたての頃。
死ぬまでに成し遂げたい人生の目標を2つ考えた。
一つは「人々を感動させるゲームを作ること」、もう一つは「宇宙へ」。

チューターの先輩から「7つの習慣」を渡されたからだった。
人生は地図のようなもの。
向かうべき目標となるゴールを定めず、
ただ地図上をウロウロするような生き方をすべきでない。と。

当時、デール・カーネギーに傾倒していた私は、「7つの習慣」にものめり込んだ。


あれから15年以上経った。
目標は夢へとうつろう。
それどころか。

もうすぐ40になるが、コロナを機に、あまりにも保守的に、夢への道からも外れてしまっていた。
ストイックに走る自分を失ってしまっていた。
ここ数年の、あまりにも温かすぎる環境に身を置いて、牙を抜かれてしまっていた。


「人々を感動させるゲームを作ること」
それすら、数年前に似たような児戯で達成したと思い込ませていたけれど、そうじゃないだろう、と。
あれは夢で描いていた、本当に作りたかった感動ではなかっただろう、と。

だから、もう一度真剣に夢に向き合おう。
未熟だった自分が、その時に思いつく限りの言葉で表現していた夢は、本当は何を成したかったものなのか。
時間が経って、少しだけ成長した今なら、もう少し深く向き合えるかもしれない。


ここが、まるで幻のような現実なのだとしたら。
そこですべきことは、再び、死んだように生きることではない。

覚悟。


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