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雑記:猿まわしはむごいか

 今までの人生で、少なくとも2回は猿まわしを見た記憶がある。
 一度は僕がまだ、幼稚園に通っていた頃。幼稚園にお猿さんが来て、竹馬やジャンプを見せてくれた。今でも鮮明に記憶に残っているから、幼き僕には印象的だったんだと思う。
残りは、太宰府天満宮で観た猿まわし。縁日だったのか、覚えてはないけれど、ひとがたくさん集まっていたような気がする。

 それから、長らく猿まわしを観る機会はなかったが、最近になって、猿まわしが僕に強烈な印象を残した。

 立花隆の『青春漂流』という本を読んだ。この本は、挑戦を続けるため、悩み苦しむ人たちへの、著者によるインタビューをまとめた本。「青春」を、挑戦の過程にあるひと、というような定義をして、家具職人やら、サバイバルナイフの製作者なんかにインタビューしていた。
 この本に登場するすべての人の人生は興味深いもので、「知の巨人」とも呼ばれる立花隆の視点のおかげで、彼らの人生の深みを垣間見ることができた。

「青春」の中にあるひとりとして、猿まわし師の村崎太郎へのインタビューも掲載された。

 猿まわしは、一説によると、江戸時代から存在していた。しかし、昭和30年代に一度、消滅している。この猿まわしを復活させるべく、村崎太郎は、奮闘する。

 猿まわしという芸能は、猿を調教するところから始まる。

 猿に芸を仕込むには、犬にお手を教えるように、簡単なものではない。餌をあげるだけでは、猿をしつけることができない。猿に、自分がお前より上だ、ということを教える必要がある。つまり、どうするのか。猿を痛めつける。場合によっては、馬乗りになって、血だらけになるまで、痛めつける。
 そうすることによって、猿がひとをボスとして認識し、従うようになる。そして、芸が仕込まれていく。芸が難しいと、猿はめげて、練習をやめてしまう。そうすると、また、なぶる。これを繰り返して、猿は芸を覚えていく。

 動物愛護団体もびっくりの所業である。猿の目線から見ると、相当にむごい。猿まわしはひとでなし、と思う人も少なくないだろう。

 だから、生半可な気持ちでは、猿まわし師にはなれない。猿まわしは皆、泣きながら、猿を調教する。猿まわし師の中には、猿を調教する過程において、気狂いになるひともいるらしい。

 そんなしんどい思いをしてまで、なぜ猿まわしを営みとしてきたのか。それは生きるためだ。

 猿まわしは差別を受け、仕事をもらえなかった部落の人々の生きるすべだった。復活を目指した村崎太郎の父、義正は部落の人間で、自らの祖先が生きる術として、受け継いできた芸能をなんとしてでも復活させたかった。
 それに答えるべく、太郎は動物好きにも関わらず、猿まわしを目指してきた。

 そんなことを聞くと、僕は一概に、猿まわしがむごいとは言えなくなってしまった。

 そういえば、「志村どうぶつ園」というTV番組にスタッフとして関わってた方と話したことがある。番組にはパン君という猿が出演しているが、ある時、パン君が芸を披露することを嫌がったらしい。すると、猿まわし師はカメラを止めてもらい、誰も見えない場所に猿を連れていった。猿の鳴き声だけが聞こえてきて、そのスタッフの方はどうしたのだろう、と不安になったそうだ。

 猿まわしは、猿と人の苦しみの上で成り立ってきた芸能なのかもしれない。


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